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2022年10月23日

全能主に従う明確な意識

使徒の働き 2:17~21、4:18~20


(起) ヨエルの預言(使徒行伝2章17~21節)と、4章19節の「全能主に聞き従うよりも、

あなた方に聞き従う方が、全能主の前に正しいかどうか、判断して下さい」
という御言葉から、主を

信じたクリスチャンであれば、全能主に従うのは当然のことで、その明確な意識をもって「世の終わり

の集大成の働きのために用いられて行くこと」
を学んで行きたいと思います。


(承) 使徒行伝には、使徒たちが聖霊のバプテスマを受けた後、明確な信仰に立って大胆に語り

始めたことが記されています。「それによって、多くの人々が次々に信じて救われて一度に3千人以上

がバプテスマを受けて弟子に加えられた」
とあります。これは、(すご)い信仰のリバイバルです。

しかし、使徒たちが聖霊のバプテスマを受ける前には、そんな力はありませんでした。彼らは「イエス

・キリストの死体を盗んだ者として取り調べを受け、祭司長たちに捕えられて尋問される」という

恐怖心の中で、毎日じっと部屋に閉じ()もって祈っているだけでした。
ですから、とても伝道する

ような力はありませんでした。ところが、彼らが「聖霊のバプテスマ」を受けた後には、堂々と皆の前

に出て行き、伝道を始め出したのです。
しかも、彼らは外国の言葉で語り出し、「全能主の大きな

御業」を語っていたので、群衆は、酒に酔っているとさえ思った程です。しかし、ペテロは「酒に

酔っているのではありません。それどころか、これこそ預言者ヨエルによって預言されていたこと

です」
と証ししました。即ち、「ヨエル書で『終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ぐ』と

預言されていたことが、今自分たちに成就しているのです」と、はっきりと語ったのです。


(転) さて、このヨエルの預言について語られている内容が、少しばかり()に落ちないところが

あります。それは、ペテロが聖霊のバプテスマについて引用している内容が、患難時代に起こる出来事

のように書かれているからです。すなわち、2章17節から20節では、「あなた方の息子・娘は預言

をし、
・・・また、わたしのしもべの上にも、はしための上にも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは

預言をする。
・・・そして、主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に月は血に変わる」とあり

ますが、この預言の箇所をペテロは、聖霊のバプテスマが起こったことの根拠として(ひも)()きました。

しかし、それなら、患難時代はペテロたちの時代に始まっていなければなりません。すると、7年間の

患難時代は、現在ではとっくに過ぎ去った出来事になります。それでは、今私たちが生きていることの

(つじ)(つま)
合わなくなります。なぜなら、ヨエルの預言の聖霊の注ぎは、この世が裁かれる「主の

大いなる輝かしい日が来る前に、天変地異が起こる患難時代の終わりの時(2:20)
として記して

いるからです。ところが、ペテロの時代には、まだ患難時代は始まっていませんでした。確かにペテロ

の手紙では、「メシアが来られた終わりの時代に起こる事として、ペテロは手紙を書いている」のは

事実です。しかし、その時は、まだ患難時代に入った時代のことではないことは明白です。なのに、

どうしてペテロ達に起こった聖霊のバプテスマが、ヨエルの預言の成就だと言えるのでしょうか?


そこで、もし、この預言を今の時代に当てはめて考えていくなら、ヨエルの預言はズバリ今の私たちに

当てはまります。それは、まさに今が、患難時代が始まる「産みの苦しみの時」だからです。
今回ここ

を読んで気付かされたことは、まさに今が「終わりの時」であり、私たちを含め、すべての人に聖霊の

バプテスマが注がれ、その後、すぐに患難時代がやって来る
ということです。
正確には、今は患難時代

が始まる前の産みの苦しみの時代であり、ルシファーサタンが世の終わりに世界の神々の頂点に

立つために、世界を統一して行く為の準備をしている時です。それは現実に世の終わりに起こる事と

して、聖書に記されている事であり、徐々に今それが起こり始め、患難時代がひしひしと私たちの所に

迫って来ているからです。ということは、今まさに、「終わりの時には、わたしの霊をすべての人に

注ぐ」という時代に入り始めているということです。
そのように見て行くと、ヨエルの預言は、ペテロ

たちの時代よりも、今が最も的確です。そして、全能主はそのような計画を持って、私たちを使おうと

しておられるということです。
ですから、私たちが聖霊のバプテスマを頂くことは、ただ単に私たちが

力を頂き、喜びを持って伝道して行く為だけではありません。むしろ今という時代は、全能主の集大成

が、この終わりの時代にされていくための大切な時期であり、その為に使徒行伝に記されている通り、

聖霊の力が必要とされている時代だからです。
それは、私たちの熱意や感情によるものではありま

せん。まさに、ペテロたちの語り方は、「信じてもらいたい」という感情的な語り方ではなく、また、

人に媚びるような語り方でもありません。純粋に、イエス様の十字架と復活の事実を語り、イエス様が

救いの道を開いて下さったメシヤだということを伝えただけです。しかし、ただそれだけで、聞いた

人々の心が動いたということは、ペテロたちの熱意によって信じさせたのではなく、聖霊の強力な

後押しがあったからです。
それ故に、人々の心が動き、群衆の方から、「私たちはどうすれば良いので

しょうか」という問いかけが起こりました。それは、聖霊の働きが未信者の内にも起こっていたから

です。これこそが聖霊行伝の記録です。これから、(まさ)に世の終わりになって、同じようなことが

起こり、毎日のように3千人、5千人と信じる人が教会に加えられ続けて行けば、使徒たちのように

十万人教会になるのは、あっという間のことです。私たちの教会は、その絶対主の計画の中に組み込ま

れた教会であり、その働きをさせていただける一人一人なのです。

(結) では、そのことが分かったら、もう自分自身のことのために、とやかく言っている場合では

ありません。今私たちがすべきことは、世の終わりに成すべき最後の仕事の一端を担う者として、その

心構えを持ち、その働きに用いられるための備えをして行くことです。
この地上で自分のために生きて

行くことが私たちの目的ではありません私たちの命は、自分で造った命ではなく、全能主によって

創られた命です。ならば、全能主のためにこの命を用い、全能主の考えに沿った生き方をして行くべき

です。
即ち、「全能主に聞き従うよりも、あなた方に聞き従う方が正しいのか、どうか、判断して

下さい」(4:19)とペテロが言った通り、私たちは人に従うのではなく、また、自分に従うのでも

なく、全能主に従う者とならなければなりません。これが、今一番大切な信仰の勧めです。どうか、

この明確な意識を持って、皆が「全能主の世の終わりの集大成のために用いられて行こう」ではありま

せんか。
 


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