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2020年 NO.724


『信じる当事者になるための心の決断』


 覗(のぞ)き見して、どこまでも様子を見ようとする人は、先々のことに不安を抱き

続けるので、いつまで経っても信じる当事者にはなれません。なぜなら、信じる当事者に

なるには、ミュラーさんのように「絶対主を信じて、絶対主に在って生きる」という

徹底した信仰によって生きる決断が必要だからです。この決断は、状況が整い決意が

固まるまで出来ないと、決め込んでいてはいけません。決断とは、状況が整ったらする

というものではなく、後先の不安から離れて、理屈で判断することです。いつも状況を

見て判断しようとする人は、理屈で解っても自分の感情が邪魔をし、感情が同意するまで

決められないのです。この感情に立ち続ける人は、感情に頼る習慣がついているので迷い

続けます。それは、自分の意志で決める決断から逃げているからです。そういう人は、

いつまで経っても迷い続けるだけで、信仰による新しい歩みを始め出すことが出来ま

せん。しかし、信仰に対して純な生き方をしようと思う人は、リスクを受け止めた上で、

感情から離れ、理屈に従って決断します
。ところが、リスクを恐れて決断できない人は、

弱い自分ばかり見て、罪人である自分から逃避しているのです。それは、弱い罪人である

自分を正直に認めたくないからです。もともと罪人の人間は、皆弱さを抱え込んで

います。ですから、その弱さを乗り越えてから決断しようと思っても無理です。生まれた

ままの人間は、一生涯弱い自分の感情から抜け出せません。ところが、牧師は人一倍弱い

人間ですが、その弱い自分を土台にして感情で決断して来なかったのです。それが、中学

三年生の時の闘病の中から立ち上がった経験です。そこが、皆さんと違うところです。

この感情を乗り越えて決断する心は、自分で体験しないと分かりません。只(ただ)、人に

教えられて、その心が掴(つか)めるものではありません。人は、みんな感情に支配され、

弱さを抱え込んでいることには変わりありません。しかし、その弱い自分を認めつつ、

その弱さをはね除けて決断する勇気は、人それぞれに懸かっています。そして、クリス

チャンにとっては、その勇気の出所は、信仰によって生まれてきます。なぜなら、生まれ

つき弱い私たちでも、絶対主を頼って生きる道が開かれたからです
。
ですから、信仰の

当事者になろうとするなら、この絶対主に単純に信頼しようと決めることだけです。

それをしない人は、感情を押しのける勇気を持つ事が出来ず、幾ら時間を掛けて教えられ

ても、感情をはね除ける心は永久に出て来ません。人の弱さを押しのけるのは、御霊の

助けを受けて自分がする事柄
です。ですから、この決断は、自分から離れてする別次元の

世界に入る事
でもあるのです。決断は、自分に「出来る、出来ない」という事は関係あり

ません
。決断は出来ると思うから決断するのではなく、それしか道がないから決断するの

です。
自分の能力に根拠があるのではありません。それが、信仰の決断なのです。この

決断をしていくことが、信じる当事者になる秘訣です。

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