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2020年 NO.743


『聖書をそのまま信じる、純な信仰とは!』


 クリスチャンがイエス様を信じた時、イエスキリストを信じていく生涯は「この聖書の

中に書いてある事を、そのまま信じていく生涯だ」と思ったことでしょう。そして、

聖書を信仰の土台として、読み始めた筈(はず)です。なぜなら、聖書の御言葉を通して信じた

からです。ですから、ここに書かれていることが信仰の道であり、キリストを信じた者

たちには、聖書が教えている通り「聖書に書いてある事は、当然自分たちにも起こる事

だ」と思って読み始めたはずです。そして、牧師である私も、信じた後にすぐに聖書を

読み始めましたので、「イエス様を信じた者には、こんなことが起こるのだ」と思いな

がら聖書を読んで行きました。そして、使徒行伝を読んでいく中で、ペテロさんとパウロ

さんの生涯の記事を見て、魂が燃えました。それは、信じた者には、そこに働かれる

イエス様がおられ、今日(こんにち)も同じようにイエス様は私たちの主で、私たちと共におられる

御方だから
、「私もその純な信仰の生き方をしたい」と思いました。そして、「それが

本当に通るのか試したい
」と思いました。なぜなら、 聖書のメッセージは、信じた者に

は平等に働かれる絶対主のメッセージだと思ったからです
。
ところが、現実には聖書の

通りにならない事が一杯出て来ました。
それは、神学校の学びの中でも知ったのですが、

「今の時代は、聖書が全て完結しており、絶対主の御心は聖書を通して全て知らされて

いる。だから、聖書が完結する前は、イエス様はしるしや奇跡や癒しを通して「弟子たち

が語って来たことは確かなことだよ」と示して行かれました。しかし、「聖書の完結した

今は、聖書があるのですから、しるしや奇跡がなくても、聖書の言葉をそのまま信じたら

いいのです。」今は、「聖書の時代のように、しるしや奇跡を求める時代ではないのです」

と教えられていたのです。即ち「信じるだけで良いんだよ」と。しかし、そんなことが

聖書に書いてあるでしょうか?
私は正直なところ「信じるだけでは足りない」と痛感して

いました。なぜなら、イエス様は、罪人を救って下さったのですが、自分が罪人である

ことは、信じる前も信じた後も変わりません。ですから、この力の無い罪人が絶対主の

ために何が出来るのでしょうか?
そんな中で、聖書を見ていくと、使徒たちは絶対主から

受けた聖霊の強力な力で、以前の臆病な弟子たちも、この世を恐れずに命を懸けてキリスト

を証して行く姿に換えられたのです。それなら、私も力を頂いてその生き方をしたい。

なぜなら、聖書に書いてある事は、昔も今も変わらないのですから。
あの臆病な弟子たち

も、力を頂いて大胆に証して行きました。なのに、私たちがその通りでなかったなら、

「聖書をそのまま信じる私たちは、いったい聖書の何を信じれば良いんだ」と思ったので

す。
そこで私は、この純な信仰の気持ちで、「聖書をそのまま信じていく試しをしたい」

と思い、始め出しました。
そして、自分の生活も、絶対主に委ねました。弟子もそうし

ましたから、それが本当に通用するのか、絶対主を第一にして生きていく事で、生活の

事も絶対主に委ねて通用するのか?私はそれを確かめたいと思い、ここまで来ました。

そして今、それが通用する事を味わっているのです。ですから、純な信仰の心とは、

「聖書をそのまま信じる心です。」と、確信を持って証したいのです。

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