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2019年 NO.695


武士道に通じる絶対主への信仰


 武士道とは、江戸時代に入り、朱子学を中心とする儒教の影響を強く受けた日本独自の

観念論として、武士道が確立されました。それは主君に対する絶対的服従と一方的忠誠

がその基本
であり、その理念は「滅私奉公」の精神です。この精神は、聖書にある

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、ヤハウェなるあなたの絶対主を愛せよ」

と言われている絶対主への服従と一方的な忠誠心とに、実に似ています。このことの故

にザビエル以来、日本に伝わったキリスト教の教えが、「武士たる者にも通じる教えで

ある」と知った武将たちが、キリストの救いを受けて、天上の大殿(絶対主)に真実に

従う道を選び、その故に、地上の殿にも従う道を通したのです。そして、「わたしが道

であり、真理であり、命なのです」と言われたキリストに、人生の全てを懸けようと

決心したのです。そして、彼らは地上の武士としての名誉は絶対主預け、はかなき地上

の地位と領地と名誉を捨てて、キリストに「滅私奉公」の心をもって殉教して行きま

した。
また、一般の民衆たちもキリスト教への禁教令が出されていたにも関わらず、

キリストを信じたキリシタンたちは苛酷な拷問と、無慈悲な責め苦を受けながらも、

「信仰は捨てませぬ」と告白して、死に至るまで忠実を貫いて行きました。
このように、

戦国時代の武将や一般民衆が、どうして、自分の命を懸ける程の綺麗事の信仰を貫けた

のでしょうか。2019年10月11日(金)付の夕刊(中日新聞)では、長崎県五島市

の久賀島で12畳の狭い牢屋の中に200人の信徒が押し込められ、8ヶ月間の内に

42名の死者を出し、畳み1畳あたり17人という狭さで横になることも出来ず、

死骸は5日間もそのままにしておかれ、人々に踏み潰されたままであったという殉教の

悲劇が記されていました。詳しい資料によれば、大部分の者は人の体の上にせり上げら

れ、足が地に着かず、宙に浮いたまま眠っており、子供がこの密集地獄に落ちてしまう

ならば、引き上げることも困難で、死体に涌いたウジ虫が、少女の下腹を食い破り死ん

でしまうという有様であったそうです。この責め苦で足がむくみ上がり、顔は貧血を

起こし、汚物はそのまま垂れ流され、息をするのも困難で、食料は朝夕の小さな芋切れ

のみで、幼児は飢えで死んでいったとあります。更に指導者たちは、牢から引きずり

出され、厳しい拷問によって棄教を迫られたにもかかわらず、一人も棄教者が出ず、

信仰を守り抜いた殉教であったそうです。


 どうして、これ程までの責め苦を受けても信仰を守り通せたのでしょうか?

それは、イエス様の励ましのことばが心に響いていたからだとあります。「大丈夫です

よ。わたしが共にいますからね。どんなに体が(むしば)まれても、わたしはあなたと共に

います」といつも声をかけて下さっていたそうです。だから、悲惨の中にあっても、

彼らの心は平安と喜びで支えられていたそうです。この励ましの御陰で、棄教者が一人

も出なかったとあります。このことによって、絶対主は、「人に自由意志を与えて

よかった。それが、どんなに喜びとなってわたしのもとに返って来たことか、これこそ

が私の喜びです」と言われたそうです。実に日本には、綺麗事の信仰を通した証が

リアルに存在していたのです。
ならば、今日のクリスチャンも、主への「滅私奉公」の

心がどんなに綺麗事だと揶揄(やゆ)されても、聖書の御言葉は真実だと最後まで綺麗事

の信仰に懸けて行くことが、永遠の喜びに繋がって行くこと
なのです。ですから、

今度は私たちが、終わりの時代にあって、最後まで綺麗事の信仰を通すことが、日本の

武士道の精神の中にある絶対的服従と一方的忠誠心が天に繋がる心であると、今、日本

人の心に復活させて行きたいと思います。


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