教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2019年3月17日
絶対主の考えに沿った生涯』

テトスへの手紙2:9~10、3:4~7


(起)テトス3章4~5節の御言葉から、「地上的な物の見方から離れて、今すでに、天に上げら

れている者として霊的な見方をし、絶対主の考え方に沿った生涯を送って行くこと」を学びたいと

思います。

(承)さて、5節を見ますと、「聖霊により新しくされて、私たちは救われたのです」とあります。

また、第Ⅱコリント5:17にも、「誰でもキリストにあるなら、その人は新しく創造された者です。

古いものは過ぎ去りました。見よ、すべてが新しくなったのです」とあります。このような箇所を

読むと、「イエス様を信じたら、自分の罪が全部洗い流されて、罪のない新しい自分に生まれ変わる

ことができる」と思いがちですが、現実はそうではありませんでした。実際に、イエス様を信じた

今も、罪人の自分は一つも変わっていません。しかし、それもそのはず、私たちはただイエス様の

贖いを信じただけであって、自分自身で何かしたわけでも、一度死んで新たに生まれ変わったわけ

でもありません。だから、この地上にいる間は、罪人としての肉の体を持った私たちが、聖なる

人間になれるなんてことは、あり得ないのです。 ということは、ここに書かれてある「新しく

される」という意味は、私たちの人間性が変わるという意味ではありません。

(転)では、この「新しくされる」という御言葉は、一体どういう意味で書かれているのでしょうか。

それは、
「キリストの救いを得た者は、物の見方考え方が変わり、新しく天からの物の見方、考え方

に変わる」
ということです。すなわち、絶対主の側から物事を見ることができるように変えられるの

です。例えば、テトス2:9~10を見ますと、奴隷に対する勧めが記されています。本来ならば、

人間が人間を家畜のように扱っている奴隷を、絶対主が上から見ておられるのですから、「人の命は

わたしが造ったものだ。それを家畜のように扱うなんて絶対に許さない」と、上からの絶対的な権威

を持って、奴隷の所有者たちを罰したり、奴隷解放のために働きかけをなさってもおかしくはあり

ません。しかし、聖書には、そのような記事はなく、むしろ
奴隷たちに対して「主人に服従して、

喜ばれる者になるように」と書いてある
のです。それは、「奴隷である状態をそのまま続けて行き

なさい」と言われているのと同じです。もし私たちが奴隷だったとしたら、この言葉は受け入れ難い

言葉です。しかし、絶対主の側から考えると、この地上のすべての人間は罪人で、その罪人の世界で

様々な制度が勝手に作られて事が行われているのです。そして、その中で争いが起こり、強い者が

のし上がり、弱い者が虐げられて行くのは、罪人の世界の自然の理です。そのような状態を絶対主は

上から見られて、「それを完全に知らんふりしておられるか」というと、そうではありません。

絶対主は、根本的な介入をしておられるのです。すなわち、ノアの時代のように、今日も人々の心も

悪に傾くばかりです。その悪のはびこる世界の中で奴隷を解放しても、単なる付け刃に他なりません。

そんな対処療法してもすぐにまた同じ事が起こってきます。すると、また全世界を滅ぼさなければ

なりません。だから、
絶対主は根本的な解放のために、罪の世界から人間を救い出すために、絶対主

はイエス・キリストを送って下さいました。
そして、イエス・キリストが罪人の罪の贖いを成し

終えて下さったことによって、「その贖いを信じる者を天に引き上げ、罪と悲惨のない世界に入れて

下さる」というのが、絶対主の考えなのです。これは、奴隷も、貧しい者も、病気の者も、あらゆる

層のすべての人たちに分け隔てなく与えられる救いです。しかも、これは一時的な救いではなく

完全な救いです。ならば、その救いを受け取った者は、あとは上に挙げて頂ける者として、もう

この地上のことに拘る必要はありません。すなわち、金持ちだとか、貧乏だとか、健康だとか、

病気だとか、出来が良いとか、悪いとか、そんなことは関係ありません。イエス・キリストを信じ

た者たちは、この地上から贖われ、地上から救い出されるのですから、救われた者たちは地上の

人間としてではなく、天に上げられた者として、物事を見ていけばいいのです。そして、上にある者

の立場で、残りの生涯をキリストのために生きていくのです。すなわち、「絶対主の側からすべてを

判断し」、その
「絶対主の判断に従い、常に絶対主に繋がる物の見方、考え方をして行くこと」が、

この地上から贖われた者たちの
新しい生き方なのです。

(結) 私たちは今まで地上的な考えに留まり、地上の人間として思い煩い、「自分は強い人間に

なっていないし、少しも性格が変わっていないからダメだ」と言って、自分自身の現在の状態を嫌い、

駄々をこねてきました。しかし、そんなことを幾ら求めても無駄です。もし私たちが強い人間、良い

性格の人間になって、全く新しい者として創り変えられるとしたら、今の自分が一度死んで、新しい

自分でもう一度生き返らなければなりません。そんなことはあり得ません。しかし、私たちは、

イエス様を通してこの地上から贖われ、地上から引き上げられて、天に住まいを持つ者となったの

です。ならば、
この救いを今は実感せずとも、アオリスト形として成就しているのですから、

今までの地上的な物の見方、考え方から離れて、今すでに、上に上げられている者として、地上の

ことを絶対主の側から考えて、その見方に沿って残りの生涯を送って行けばいいのです。どうか、

この新しい立場を聖霊によって頂いたのですから、もう今から、その新しい生き方を始め出し、

イエス・キリストを通して、なお豊かに聖霊を注いで頂き、(テトス3:6)
絶対主の集大成の

働きのために、残りの生涯を用いて頂きましょう。
  


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室