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2018年 NO.653


主に使われ易いクリスチャンとは


 私たちは、「正しい人間、良い人間、能力のある人間」でないと、主に用いられないと

考えがちです。しかし、そうではありません。絶対主の側から見た時、用い易い人間

とは、世で考えられている評価の者ではありません。絶対主の側から見たならば、

全ての人間が魔物の心を抱いた罪人です。しかも、生まれながらに備えられていた能力

の一つ一つも、全て絶対主から与えられたものです。それを人が誇りに出来るものは

一つもありません。ですから、全能主である絶対主は、人の能力の如何によって使える、

使えないを決めません。なぜなら、「必要であるなら、その時々に人に能力を与える

ことも出来る方」だからです。又、「正しい、正しくない」、「良い人間、悪い人間」

という事も、用いられる条件にはなりません。それも、人は、元々、生まれながらに

罪人なのですから。
その証拠、使徒パウロは、クリスチャンの迫害者であり、人殺しで

あった人です。そんな人が、生涯に渡って主の働きに用いられて行った者となったわけ

です。すると、主に用いられる人とは、どういう人かと言いますと、パウロのように、

命の残りの生涯を主に明け渡す心を持った人です。

 この明け渡す心とは、「自分が間違っていたら、素直に間違っていた」と認めること

の出来る人です。その素直ささえあれば、主はその人を自由に使うことができます。

なぜなら、「我を引く心を持った人は、相手の考えを理解できる」からです。聖書には

こうあります。「まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。絶対主へのいけにえは、

砕かれた魂、砕かれた悔いし心。絶対主よ、あなたはそれを見下されない」

(
511617)とあります。すなわち、自分の罪深さを自覚している人は、「我を

引き、絶対主の考えに合わせようとする」のです。この心を持った人は、絶対主にとって

「使い易い人」となります
人は、自分の命を自分で造って生まれ出て来た訳ではあり

ません。又、偶然に降って湧いた命でもありません。この命は、自分の権利で自由に

用いる命ではなく、私たちに命を存在させた絶対主こそ、私たちの命に対する主権を

持っておられる方です。だから私たちが、絶対主の考えに素直に合わせて使ってもら

おうとする心を持つ事は、命の本当の価値です
。この素直さとは、「自分の命の主権者

を絶対主である」と認める心です。ですから、私たちが進んでこの素直な心を持つなら、

絶対主は私たちを使い易くなるのです。


 使い易い心を持った者は、主は必要な賜物(能力)も、安心して授けることが出来ます。

そして、御自身の計画のために用いて下さるでしょう。今は、「666」が全国放送で映し

出される時代になりました。いよいよ、絶対主の救いの計画の集大成の局面に入って

来ています。それは、クリスチャンにとっても、御国が間近に迫って来たということ

でもあります。もう自分の自我を主張している時ではありません。主に使われ易い人間

となって、終わりの時に、一つ心となって、主に仕えて行こうではありませんか。

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