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2018年11月4日


『絶対主に繋がる心』

使徒の働き10:1~8、23~33



起) 使徒の働き10章33節の「私たちは、主があなたに命じられたすべての事を伺おうとして、

皆 絶対主の御前に出ております」というコルネリオの言葉から、「絶対主に繋がる心とは何か」

という事を学びたいと思います。


(承) さて、この記事を読んで行くと、「コルネリオという人は、私たちとはかけ離れた立派な人物

だった」事が伺われます。というのは、2節を見ていきますと、「彼は主を敬い、彼の全家族と共に

絶対主を恐れかしこみ、 ユダヤ人に多くの施しをなし、絶えず絶対主に祈りをしていた。・・・

また断食をして絶対主に祈っていた」とあります。しかも、「午後三時の祈りの時」とありますので、

彼は時間を決めて、いつも規則的に祈っていた人だと分かります。ですから、このような立派な信仰者

であったから、特別に御使いが彼に現れたのだと思い、私たちは「彼ほどの熱心さはないから、

こんなことは起こらない」と思って、つい(ひが)んでしまいます。しかし、そのように(ひが)む必要

はありません。なぜなら、絶対主は外見を見られる方ではなく、その人の心を見られる方ですから、

私たちも、心があれば、絶対主はこのような取り扱いを、私たちにもされるのです。


(転) さて、彼がいつものように祈っていると、突然御使いが現れ、「ペテロという人を招きなさい」

と言われました。彼は、ただちにペテロの所にしもべを遣わすのですが、本来なら、この時代の常識で

考えると異邦人が  ユダヤ人の所に行って、「私の家に来て下さい」と言うことは、非常識な願い

です。なぜなら、当時はユダヤ人が他国の人と交際したり、家を訪問したりすることは、律法で禁じ

られていたからです。ところが、絶対主はコルネリオに働かれたのと同じタイミングで、ペテロにも

働かれて「彼らと一緒にコルネリオの家に向かいなさい」と御霊によって示されました。

ということは、この出来事は絶対主の御心から出た、絶対主の導きであったのです。そして、絶対主が

コルネリオに目を留められたのは、コルネリオの外見的な行いではなく、内面的な彼の信仰の心でした。

それは、33節を見ると分かります。彼は、ペテロを自分の家に招き入れたとき、「今私たちは、

主があなたに命じられたすべての事を伺おうとして皆、絶対主の御前に出ております」と言いました。

コルネリオの心は「常に絶対主に聞いて行こう」という、絶対主を第一にするへりくだりの心があった

のです。
私たちはどうしても、人の表面的な行いに目が向きがちです。しかし、このへりくだりの

心なしに、いくら立派な行いをしても、絶対主は 目に留めて下さいません。ということは、私たちが

絶対主に繋がる部分は、「あれをやった、これをやった」という表面的な行いではなく、
絶対主を

第一にして行こうとする心です。では、その絶対主を第一にして行こうとする心は、どこから出てくる

のかというと、「自分は何もできない罪人で、誇れるものは何もない」という自己否定の心です。


どういうことかと言いますと、「自分は何もできない罪人で、自分には何もない」ということが

分かれば、当然の如く絶対主をあがめようとします。すなわち、「自己否定がされて、初めて絶対主

が自分の第一になる」ということです。私たちは、この心さえ持っていれば、コルネリオのように

必ず絶対主と繋がります。そして、絶対主は何の取り柄もない罪人でも、喜んで用いて下さるのです。

私たちは、「良い人間、正しい人間、それ相応の能力を持った人間でなければ、絶対主に使って

もらえない」と思いがちですが、そうではありません。絶対主は、「自分の罪に対して正直な者」を

使われるのです。ペテロもパウロも、そのように悟ったときから用いられ始めました。だから、

私たちも「自分は罪人で、何の取り柄もない。何の資格もない」という、事実をそのまま認めた時、

「自分にとって絶対主しかありません」という心になって行くのです。


(結) 罪人に誇れるものは何もありません。しかし、誇れるものが何もなければ、やっていけない

のか?と言うと、そうではありません。誇れるものが何もないからこそ、絶対主が第一になって

行きます。そして、私たちは自分の中に用いられる資格や、肉的な価値を見出そうとするのではなく、

むしろ、罪人である遜った心を持って、用いられ易い者となって行くのです。
魔物を抱えた罪人が、

この地上でどんな価値を見出すことができるでしょうか。
できません。だから私たちにとって絶対主

しかないのです。この心を持っていたのが、コルネリオであり、それが絶対主に繋がる心なのです。

どうか、この心をもって私たちも主に仕えて行こうではありませんか。
 
 


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