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2017年 NO.581


完全な他力本願の信仰


 生まれながらに罪人が、「自分の本願(天国へ行く道)」を自分の力で達成できるので

しょうか? それは全く不可能です。なぜなら、自分の力で本願を達成できるなら、絶対主の

御子が命を捨ててまで、人間の罪の贖いをする必要がなかったからです。人の心は罪に傾く

だけで、肉にすぎないものです。ですから、絶対主は、わが子に「罪人の為に死んでこい」

と言われたのです。それならば、「私たちが反省しようが、心を入れ替えようが」駄目な

ものは駄目だと気づくべきです。すなわち、いくら律法的に自分に言い聞かせても、結局は、

「何もできない自分を思い知る」だけです。それなら、早々に自分は罪人であると完全に

認めて、「罪人の惨めな自分でしかない事実」を思い知るべきです。しかしながら、

クリスチャンの多くは、「真面目」であることが絶対主に受け入れられる「良い行いだ」

と思っているので、駄目な自分でも、一生懸命に努力して行こうと思うところに「正しさ」

がある
と思っています。この意識を放棄したら、本当の悪人になってしまうと思うからです。

ですから自分に無理に言い聞かせて「やります」と言わせるのです。しかし、絶対主から

見るなら、「出来もしないのに『やります』なんて言うな!出来もしない自分の惨めな姿を

認めろ」と言われてしまいます。それは、「やろうとする心」が正しいのではなく、

「出来ない生の自分の姿を正直に認めた心」が、「正しいのだ」と絶対主は考えておられる

からです。すると、「出来ないから、何もしなくてもいいのですか」という思いになって

しまいます。確かにそうなるでしょう。しかし、自分の心の本心では、「何とか絶対主に

喜んでもらえる人間になりたい」という思いは、クリスチャンなら皆持っているはずです。

ならば、自分の力では100%喜んでもらえる人間にはなれないが、何とか私たちを

罪の中から救って下さったイエス様に願い出て、へり下って砕かれた心で、『どうか、

私をお助け下さい!なんとか、1つでも2つでも、主の御心に適うことをしたいのです。』


と下手に出て願うことはできます。しかし、失敗してもなお、手っ取り早く自分の力に

頼ってやろうとするのではなく、たとえ結果が出なくとも、100%主に頼る心を表し

続ける
ことで、絶対主は私たちが傲慢にならない範囲の中で助けて、導いて下さるのです。

どうかこの心をもって前向きに始め出しましょう。これが完全な他力本願の心なのです。




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