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2017年 NO.620


心で分かるとは?



     聖書の創世記には、この世が絶対主によって創られたものであることが、明確に記されて

います。しかしながら、それがこの世の人間の間で、常識的な理解となってはいません。

未だに、進化論に基づいた宇宙観が世界的な常識とされ、宇宙の創成が「どのように始まった

のか」、一つも証明していません。ただ、「存在した」と言われても、それが「無から始まった

のか」それとも、「偶然に物質が存在して、そこから始まったものか」、現代の科学では、

宇宙のスタートを証明してはいません。しかし、物質の存在は、知的な誰かがそこに物を

置かなければ、全く無の世界が永遠に続くだけです。例えば、この人間社会の中で、一つの

乗り物が造られる時、それ以前には全く人の乗り物が無かったとしても、そこに知的な人間が

存在していたなら、何らかの乗り物が創造されてくる可能性はあります。しかし、そこに、

知的な人間も、材料も全くない無の世界であるなら、何一つ出現することはありません。

しかし、それが出現すると考えるのが進化論です。進化論は、「物質の出現が偶然に起こった」

と、非科学的な仮説理論を唱えるからです。ところが、聖書は、この世界の始まりを、「英知に

満ちた絶対主の存在があった」ということを唱えています。

では、どちらが正しいのでしょうか?

 無からはどこまでも無です。しかし、何も無かった無の世界であっても、英知に満ちた絶対主

が物質を創造して、無であった世界に創造物を置くなら、この宇宙の物質世界は始まります。

ただし、それだけの絶対的知恵と力が絶対主にあったという前提です。逆に言うと、そのような

知的な全能者がいなければ、無はどこまでも無で、今日のような秩序に満ちた宇宙と、この

地上世界は存在しなかったことになります。もし偶然に存在したとしても、偶然には秩序は

生まれません。秩序や法則の存在は、知的な創造でなければ、ありえないからです。

例として、列車の時間通りの運行は、そこに知的な人間の存在があってこそ生まれます。

もし、トラブルで遅れが生じた場合は、運転士の判断でスピードを上げて、時間に間に合わせて

到着時間を回復できます。全ての秩序は、知的な存在者がいなければ保たれません。

 ですから、逆説的には、この世界は知的な絶対主の存在があるから、秩序が保たれ、世界が

存在しているのです。このようにして、この絶対主の存在の証明がなされた以上、私たちは、

その存在の事実を認めるだけなら、頭だけの理解で終わります。しかし、心で認めたら、その

絶対主が世界を治めている訳ですから、その絶対主の意向に添った生き方でないと、通用しま

せん。


 この絶対主によって創られた世界に住んでいるなら、その絶対主を軽んじて、自分勝手に

生きて行くなら、世界を創ったお方から、「大目玉」を食らうことになります。この道理が

分からないはずがありません。それなら、私たちが感情で絶対主に従うのではなく、絶対主の

存在を知的に理解し、心でも理解して従うのです。
なぜなら、人間は心を持った存在なので、

心でも道理を理解し、その心の伴った生き方が本来の人間の生き方であるからです。頭だけの

心を無視した生き方では、絶対主と繋がりません。心がある以上、知性と心をもって絶対主に

従うのが正しい道理です。これが、クリスチャンの創造論を信じた本当の生き方です。

この道理を以て、絶対主の意向を汲んだ、嘘のない人生を全うしようではありませんか。

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