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2017年 NO.579


ヒューマニズムの弊害


  ヒューマニズムとは、人間中心主義の世界観で、中世のトマス・アクィナス(1225〜

1274年)というカトリックの神学者が、「人間の意志は罪に落ちたが、知性はその影響

を受けなかった」という論理から、「人間は自分の知性に信頼を置くことが出来るから、

聖書の教えと非キリスト教の哲学者達の教えとを自由に混合してよい」という考えによって

始まったものです。このトマス・アクィナスに影響を受けた人々は、ギリシャ・ローマの

キリスト教以前の古典文化を再認識し、非キリスト教の哲学者たちの考えを取り入れ、

神中心の中世文化から、人間中心のルネッサンス文化へ転換して行きました。そして、

宗教からの徹底的解放を求め、「人間は自律的で、完全に何ものにもよっていない」という

現代のヒューマニズムに発展して行ったのです。ですから、今日のクリスチャンたちの

心には、生まれながらに、自分を中心に考える考え方が根強く残っており、信じてからも

なかなかこの潜在意識から抜け出せず、絶対主中心の心に変えられていないのが現実です


ですから、自分の我を否定できず、自分の知性から出てくる正義感が、罪人である自分を

完全に受け入れることのできない現実を生み出しているのです。

 このヒューマニズムの考えは、最後に行き着くところは、人間を単なる物として動く機械

としてしまう唯物論です。ですから、ヒューマニズムの考えは、決して絶対主と結び付く

ものではありません。クリスチャンは、先ず、「絶対主の国と絶対主の義」を求める者

であり、救いはこの地上で成就するものではなく、天の御国で具現化されて行くものです。

ですから、生まれながらに自己主張する人間の知性から離れて、絶対主の側から見る考え方

に変えるべきです。その絶対主の側から見る見方は、「先ず、自分の主張・思い・不平を引く」

ところから始まります。自分の思いが一杯頭の中を占めていたら、決して絶対主の思いは

入って来ません。「人間の考える知性は、堕落しておらず、自己主張するのは、人間の権利だ」

と考えるトマス・アクィナスの蒔いた毒麦から離れましょう
。しかしながら、自分の考えは、

自分の中から出て来ますので、完全に無くすことは出来ませんが、自分の考えを横に置いて、

相手の考え(御霊の声)を、相手の立場に立って聞こうとすれば、語られている意味が見え

始め、「あっそうか」と納得できます。自分の考えに凝り固まらず、相手の言うことを聞く

耳を先ず持って行きましょう。そこから、絶対主の考えに立つクリスチャンの考え方に

改めて行くのです。今から始めましょう。




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