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2017年 NO.577


『劣等感からの解放』



人は、いくら優越感の中に浸っても、必ずその終りが来ます。なぜなら、人は必ず年老い、

死に直面するからです。そして、必ず挫折を味わい、絶望を経験します。なぜなら、人は

造られた被造物であって全能ではないからです。なのに、心の底ではいつも挫折を味わいたく

ないと思い続けるのは何故でしょうか? それは、ルシファーの罪の影響を身に負っている

からです。ルシファーは、その傲慢のため地に落とされ、よみの穴の底に落されます。

結局彼は、美の極みであった優越感と裏腹に、よみに落とされるものとしての劣等感を

抱き続けているのです。そして、そこから何とか這い上がろうとして、落ち切る手前で手下の

悪霊どもを使って、あがきもがいているのです。この姿は、罪の中に陥った人間と、

同じ姿ではないでしょうか? しかし、ルシファーには罪の贖いはありませんが、ルシファーに

唆(そその)かされた人間のためには、御子の贖いが用意されました。それは、絶対主の永遠の

計画の中で計画されていたもので、私たちは、罪人のために用意された救いに預る恩恵に浴する

ことができるのです。ただし、全ての人間に無条件に与えられるものではなく、ルシファーの

罪を身に負った者として、よみの穴の底に落ち切る者の現実を認めた罪人のみに与えられる

救いです。
ルシファーのように、落ち切るのを必死で堪(こら)え、自分の力で這い上がろう

としている者には、与えられません。自分で這い上がろうとする心は、罪を帳消ししようとする

ルシファーの傲慢と同じで、罪を認めずに反抗し続ける罪そのものです。
ですから、御子による

救いは、罪に落ち切って自分の力では這い上がれない者たちへの恩寵です。罪に落ち切った

者が、自分の劣等感に陥るのは当然であり、その劣等感の塊である現実から抜け出すことが

救いではなく、劣等感の中にある罪人その者を救ってもらうのがキリストの十字架なのです。


ですから、自分の劣等感に逃げ出すのではなく、むしろ、そのものであることを認め、そこに

キリストの救いがあることを確信した時に、本物の劣等感からの解放が与えられるのです。

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