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2017年7月30日

霊的な心と判断力を身につけ、
最後まで霊的な心で絶対主に従っていく


ヨハネ3:1~21


(起) ヨハネの福音書1章と3章の、ナタナエルとニコデモの記事を通して、「霊的な心と

判断力を身につけ、最後まで霊的な心で絶対主に従って行く」ということを学びたいと

思います。


(承) さて、まずは3章に出てくるニコデモについて見て行きましょう。彼は、パリサイ人で

ユダヤ人の議員でしたが、それほど霊的な理解力は持っていなかったように思われます。

彼は、メシヤであるイエス様を教師としか見ておらず、「イエス様から色々な話を聞きたい。

この方は預言者だと思うから、自分たちのこれからのことについて 聞いてみよう」という

ような感覚で、イエス様に会いに行きす。するとイエス様は、彼が肉的な理解力しか持って

いないことを見抜かれ、「あなたは、イスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが

分からないのですか?」と言われ、「誰でも新しく生れなければ、絶対主の国を見ることは

できません」と言われたのです。すなわち、「肉的な地上の見方では、霊的なことは

理解できません。」ということです。すると、彼はまた肉的な考えから、「人は、年を取って

から、生まれることがどうして出来ましょうか?もう一度、母の胎に入って生れることが

できましょうか」(ヨハネ3:4)と答えたのです。どこまでいっても彼の理解力は肉的である

ことが分かります。では、ヨハネの福音書1章に出てくるナタナエルはどうだったでしょうか。

彼は、ピリポから、「私たちは、モーセが律法の中に記しており、預言者たちが記していた

メシヤであるナザレのイエスに出会いました」と聞くと、「ナザレから、そんな良き方が

出るはずがない」と言いました。ところが、「来て、見なさい」と言われて、実際にイエス様に

会いに行くと、イエス様は突然、「あなたは正真正銘のイスラエル人である。その心には偽りが

ない」と言われたのです。ナタナエルは驚いて、「どうして私をご存じなのですか」と聞くと、

イエス様は、「ピリポがあなたに声をかける前に、わたしは、あなたがいちじくの木の下に

いるのを見たのです」と言われました。するとナタナエルは、「先生。あなたは絶対主の

御子です」と答え、それまで持っていた地上的な見方をガラッと変えたのです。普通なら、

「当てずっぽうで言ったのではないか」と考えてもおかしくはありません。

しかし、このナタナエルという人は非常に素直な人でした。それは、
単なる肉の素直さ

ではなく、霊で物事を見極めようとする心の部分を持っていたようです。
彼のその霊的な

部分が、主の言葉に対して素直な反応となって表れたのです。


(転) では、私たちはどうでしょうか。私たちは、イエス様を信じた時に新しい命が与えられ

ました。だから、今はその新しい命と、生れながらの肉の命の二つを持っています。

ところが、
その新しい命と肉の命がはっきり区別 されていないという問題があります。

すなわち、霊と肉がごちゃ混ぜになっているということです。
例えば、礼拝で語られる

メッセージは霊的な内容のものですから、私たちは無意識のうちに霊的な心で

受けとめています。しかし、礼拝が終わると、その瞬時に生まれながらの肉に切り替わり、

肉的な見方・判断をしています。ところが、自分ではその切り替わりが起こったことにも

気付いていません。
このように、霊と肉がごちゃ混ぜになっていて、どっちがどっちなのか

区別できなくなっているというのが現状です。
すなわち、「クリスチャンであっても、霊で

感じる部分が薄っぺらで、上辺だけのものになってしまっているということです。」


そんなクリスチャン生活を送っても、何の意味もありません。では、霊と肉の区別をはっきり

して行くためには、どうしたら良いのでしょうか。それは、まず、「天のことは絶対主の

権威の中で語られたことですから、全部そのまま受けとめて行く」という、肯定的な意識を

持たなければなりません。
絶対主やイエス様のお考えに対して、「どうして?」とか、

「そんなのおかしい」とか、そういう疑問を抱くこと自体が、まず間違っているのです。

天の次元で語られたことについては、それを理解できようができまいが、「その通りですね」と

肯定的に受けとめて行く意識が必要です。これが、信仰なのです。
そして、霊と肉の区別をして

行くための最も良い方法は、私たちの内に住んでおられる
御霊さまの声を聞くことです。

毎日御霊さまの声を聞き、御霊さまの影響力の中に自分の身を置くようにして行けば、

霊的な見方・判断が身につき、霊と肉の違いが段々見えてくるようになるのです。


(結) こういうわけで、私たちはクリスチャンであり、天の者なのですから、天の次元で

語られていることは全部受けとめて行きましょう。
そこにちょっとでも疑問を挟んで、自分流に

判断しょうとしてはいけません。また、自分が理解できないからといって拒否しては

いけません。私たちはどこまでもへりくだって受け止めて行くべきです。
そして、御霊さまの

声を毎日聞き、霊的な理解力を持つ者となって初めて、絶対主に従って行く霊的な道が

開かれてきます。どうか、霊的な心と判断力を身につけ、最後まで絶対主に従って行く道を

全うしようではありませんか。
 

 

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