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2017年6月25日

『絶対主に反逆する罪を砕き、
へりくだって絶対主との交わりの中に留まり続けて行くこと』


Ⅰヨハネ1:5~2:8

(起) 第Ⅰヨハネ2章の御言葉から、「絶対主に反逆する罪を砕き、へりくだって絶対主との

交わりの中に留まり続けて行くこと」を、学びたいと思います。


(承) さて、第Ⅰヨハネ2章6節を見ますと、「『絶対主の中に在る』という者は、

キリストが歩まれたように、その人自身も歩むべきです」とあります。この御言葉を読むと、

キリストが歩まれたように歩むということは、「イエス様は 罪を犯されなかったから、

私たちもイエス様と同じように、罪を犯さずに歩んで行かなくてはならないのだ」と思って

しまいがちです。しかし、この御言葉はそういう意味ではありません。
この御言葉は、「反逆の

心を砕き、どこまでもへりくだって絶対主に従って行かれたイエス様」と、「同じように

歩みなさい」という意味なのです。
イエス様は絶対主の御子であられましたが、あえて、

人間と同じ罪深い肉の体(ローマ8:3)をとってこの地上に来られました。そのため、

「反逆の心」も持っていました。だからゲッセマネの園で、あの祈りがあったのです。

イエス様は「自分はとても十字架の苦しみに耐えられるか分からない。ひょっとすると、

耐えられなくなって反逆の心を出してしまうかもしれない」という不安を持っておられました。

だから、三回も祈らなくてはならなかったのです。この三度目の祈りの時には、ついに「この

苦しみを受けていく。どんなに惨めでも、自分はここを通って行く」と、心に定められました。

そして、反逆の心を完璧に砕き、「あなたの御心のままになりますように」と言われたのです。

(転) では、私たちの場合はどうでしょうか。イエス様でさえそうされたのですから、

私たちなら尚更そうすべきです。たとえ苦しくても、怖くても、「私はもうダメだ」と

思っても、絶対主に逆らってしまったら、私たちは終わってしまいます。
私たちは、確かに

イエス様の救いにあずかりました。しかし、生まれながらの反逆の精神は、変わらず私たちの

中にあり、自分の心には恐ろしい現実があるのを知っています。
しかし、もしその反逆の心を

表してしまったら、イエス様によって繋いでいただいた絶対主との交わりも切れてしまいます。

もしそれを切ってしまったら、もう一度絶対主の交わりの中に戻るためには、イエス様に「もう

一度十字架にかかってください」とお願いしなければなりません。イエス様はそんなことは

なさいませんので、私たちには、二回目の贖いはありません。
だから、何が何でも、たった

一度の永遠の有効な贖いの中に留まらなくてはならないのです。
だから、どんなことが

あっても、「反逆の罪」だけは出してはいけないし、
絶対主との交わりを切るような自分の

我は、砕いて行かなければならないのです。
どこまでも自分の考えが正しいと主張したり、

罪を指摘されたときに「聞きたくない」という気持ちを持って顔を曇らせしたり、腐った

顔つきを続けていたら、最後にはキレて「もういい。そこまで言われたら、私はもう教会に

行きません」と言って、反逆の心を表すことになってしまいます。それを出したら、絶対主との

繋がりは完全に切れ、イエス様の贖いは無効となり、取り去られてしまうのです。ここに、

砕かれた悔いし心の意味があります。


(結) ですから、自分の心の奥底には「この恐ろしい罪がある」ということを自覚し、

どこまでもへりくだって行く べきです。
罪過の罪に関しては、その度毎に認めて告白し、

罪の責任を取って行くことです。そうすれば、絶対主は真実で正しい方ですから、

その罪を赦してくださいます。しかし、「反逆する罪」は、絶対主との交わりを切ることに

なりますので、罪過の罪とは違います。しかしながら、もし罪過の罪を指摘されて、

顔を暗くして「罪を指摘されたくない。そこまで言われたくない。もう聞きたくない」という

心の表れを出すなら、その顔は絶対主に対する「反逆の罪」に繋がって行きます。反逆の罪は、

出したら終わりですから、その心が出る前に砕いて行くべきです。私たちは、絶対主との交わり

を切ってしまうような、反逆の罪に関しては、絶対に寛容であってはなりません。イエス様の

肉にも、反逆の精神はありました。しかし、三度の祈りを通して砕いて行かれたのです。

この罪に勝利されたイエス様だからこそ、私たちのアダムとイブの罪の根である「反逆の罪」を

イエス様は贖うことが出来たのです。この贖いを頂いた私たちは、この反逆する心だけは、

ルシファーの罪と繋がりますので、同じ裁きを受ける者とならないためにも、どこまでも砕き、

生涯へりくだって行くべきです。そして、絶対主との交わりの中に留まり続けて行かなければ

なりません。これが、クリスチャンにとってすべてです。この恐ろしい心の奥にある罪だけは

出してはなりません。永遠の命と引き換えにすることになりますから。この意識をしっかり

持って、残りの生涯をイエス様に従って行きましょう。

 


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