「信じる」ということは、信頼する者と信頼される者の「心と心の結び付き」から始まり
ます。しかし、この結び付きは裏切りによって消えてしまいます。実は、人の心の奥底に、
皆この裏切りの心が隠れ潜んでいるのです。それは、ルシファーが絶対主を裏切り、その罪の
心によって、アダムとエバに絶対主を裏切らせました。ですから、人の罪の根は、心の底に
ある裏切りの心です。その心は普段、完全に心の底に仕舞い込まれ、自分の意識に昇って
こないように抑え込まれています。しかし、ひとたび自己保身が顔を出した時、人の正義感は
吹っ飛び、自分の財産や地位、名誉の安泰のために、人を裏切ってでも自分を守ろうとする
心が出てくるのです。戦国時代の世に決着をつけた関ヶ原の戦いでは、毛利輝元を総大将と
する西軍が、圧倒的に優位な勢力を保持していました。ところが、その総大将が軍を引き出す
のをためらっていたため、小早川秀秋が裏切りを決断し、一気に西軍が敗北しました。この
秀秋は、秀吉の妻の兄の子で、秀吉の養子となっていた者です。その秀秋は、小早川隆景
(たかかげ)の養子となって、毛利家の縁筋にありました。ということは、秀吉軍とは
切っても切れない関係にあり、総大将であった毛利輝元とも縁戚関係にあり、西軍の柱でも
あったのです。しかし、家康の調略(策略)に乗って、人の義の道を捨て、裏切りに走ったの
です。人の道には、筋を通す義というものがあり、最低限、人間社会の成立を保つため、
崩してはならない一線があります。だから、互いの信頼の上にあって生活が保たれています。
お金は、単なる紙切れです。しかし、その紙幣の価値を政府が保障していますので、安心して
物と交換します。しかし、差し迫った事が起った時には、その保障も水の泡となって消えて
行きます。その時は、国が崩壊する時です。同じように人も、信頼関係を御破算にしたら、
終ります。しかし、この信頼関係を絶対に切られないお方がいます。それは、絶対主です。
イエスキリストを通して結んで下さった契約は、絶対に切られません。しかし、それは
「私たちが裏切らなければ」という土台の上に立っています。ですから、私たちが一旦
「信じた心」は、たとえ命を奪われることがあっても、御破算にしてはいけません。信頼する
者と信頼される者は、共に「心と心の結び付きの中にあります。」ですから、心の奥底にある
「裏切り」の心は、ダビデさんのように「まことに、私はそむきの罪を知っています。私の
罪は、いつも私の目の前にあります。」とあるように、ルシファーの「裏切りの罪の根」を、
心の底に仕舞い込まず、自分の目の前に「恐れおののいて置いておくべき」です。そして、
その誠実さをもって自分の救いを達成して行きましょう。 |
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