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2016年 NO.573


『人の心を汲むへるくだりの心』


人は、「自分の心を分って欲しい」、「自分の気持ちを理解して欲しい」という願いをいつも

抱いています。なぜなら、人は傷つき易く、弱い者で、人の心はいつも病んでいるからです。

そんな時、自分の心を分ってくれる人に出会ったら嬉しくなります。心の癒しを味わうから

です。しかし、そう簡単には出会うことは出来ません。なぜなら、人は互いに自分勝手で、

自分のことしか考えず、私利私欲に満ち、身の保全しか考えない者だからです。そして、自分の

都合で考えをコロコロ変え、本心を隠すからです。だから、自分も他人も本心を出すことは、

滅多にありません。本心を曝け出して誤解され非難を受けたら、心の持って行く場がなくなる

からです。だから、互いに人は貝のように心を閉じて、孤独の中で生きています。そんな中で、

マクダラのマリヤは、イエス様と出会いました。イエス様から、「私もあなたを罪に定めない」

と言われた時、「自分の心の悲しみを一番良く分ってくれる人は、この人以外にない」と知って

マリヤさんは生涯イエス様の後に従って行った人です。「この方は心を分ってくれる。」

そういう人に出会ったのです。それまでのマリヤさんは、心の底の本心では、「罪を犯したく

ない」と思いつつ、満たされない心の弱さや傷を癒す方法が見つからず、罪に流されていま

した。しかし、彼女は、初めて心に触れて下さる方に出会ったのです。これが、マリヤさんの

求道の始まりでした。そして、イエス様こそが人の罪を癒して救って下さる方だと分った時、

マリヤさんの残りの生涯は、イエス様の心を汲んで、イエス様を知ろうと、必死にイエス様の

後に連いて行ったのです。そして、イエス様の心に触れた時、「自分のことなどどうでもいい」

と思うようになり、「ひたすらイエス様の心を汲んで、イエス様に答えて行きたい」と切に

願ったのです。この心こそが、イエス様を信じた私たちの心ではないでしょうか? 救いを

知った者は、「もう、自分のことはどうでもいい、イエス様の心に答えて行きたい」と思うで

しょう。そして、イエス様の心に触れて、「イエス様が何を求めておられるのか知りたい」と

思うでしょう。これが、「相手の心を汲んで行く心」に繋がっていくのです。信じた人が、

自分のことしか考えず、自分しか見ていないのは、自分がどこから救われたのか見ていないから

です。罪の傷を癒されたなら、「イエス様に答えて行きたい」と願うのが自然です。すると、

「イエス様が何を求めておられるのか考えるでしょう。」自分の求めより、イエス様の心を

汲んで従って行こうとする思いから、自分の間違いに気づくのです。すると、自我を砕いて、

悔い改めて自分を変えて行こうとするのではないでしょうか? マリヤさんのように、相手の

心を知ろうとするへり下りの心を持たせてもらいましょう。




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