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2013年 NO.493



     
他人から「認められ、崇められる」
ことを求める願望




 私たちが主に求めている聖霊の力は、何の為でしょうか? 

「伝道するために強い心を持ちたい。証しをするために強い信仰を持ちたい。」と私たち

の心は叫びます。しかし、「伝道して認められたい。大胆に証しをして崇められたい」

という願望が、心の底から叫んでいないでしょうか?

 その願望が、聖霊の力を求める動機になっていては、聖霊の油注ぎはありません。

又、「自分の性格が変えられたい。弱い自分の心を強くされたい」という願望が聖霊の

バプテスマを求める動機になっていないでしょうか。もし、その色気が心の底にあるなら、

聖霊の油注ぎは与えられないでしょう。
なぜなら、その色気は、サタンが絶対主に抱いて

絶対主の星々のはるか上に私の王座を上げ・・・いと高き方のようになろう。

サタンが傲慢になり、自分は認められたい、崇められたい」という願望の故に地に

落された罪の根だからです
。ですから、その思いこそが人の罪の根源であり、人の心の

底にみな受け継いでいるサタンからの悪しき願望なのです。それならば、即座に私たち

の心から追い出して、そんな汚れた願望など持つ必要はないと決断すべきではない

でしょうか。私たちは、罪人ですから、人に認められることも出来ませんし、まして

崇められることなど願う立場にもありません。ならば、この肉の願望を持つことを

「止めとこう」と、きっぱりサヨナラしようではありませんか。
   




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