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2014年6月15日    



 
私たちの原罪を背負って来て下さった
イエス様の贖い




ヘブル書2:14〜18



(起)「私たちの原罪を背負って来て下さったイエス様の贖い」について学んでいきたい」

と思います。


(承)さて、ここに記されている内容を読むと、本当に素晴らしいと思いますが、今の私たちに

とっては、なかなか実感が伴わない部分でもあります。それは、私たちの身体が、まだ贖われて

おらず、罪を持ったままの身体だからです。最近のイエス様との交わりを通して、少しずつ

イメージは入って来てはいますが、完全に味わったわけではありません。そこで今日、この御国

の幸いに預かる学びの前に、まず私たちの「心」について考えてみたいと思います。

というのは、私たちの「心」の部分は、実は絶対主の如くに造られた部分であって、絶対主が

決して他者に支配されることはなく、全てのことをご自分で決める主権を持っておられると同じ

ように、私たちの「心」の部分も、何もかも自分自身で決めて行動する主権が与えられています。

なぜなら、この「心」の部分に関しては、絶対主も人の心は変えられないが、心に語りかける

ことはできる。人は、心に語られても、どう決めるかは、その人自身が決めることです。

もし、心の領域を絶対主の思い通りにすることができるなら、悪魔は必要なかったのです。

だから、絶対主は、私たちの心に訴えかける事はされても、無理矢理変えることは出来ません。

何故なら、絶対主の如く創られた部分だからです。ですから、人間は、罪を犯した場合に、

「責任は取りたくない」と言って、言い訳をしたり、人の所為にしたりして逃げて行くことが

出来ます。たとえ、絶対主の厳しい取り扱いがあったとしても、その導きに従わず、逆らうことも

出来ます。そのようにしてしまう人間は、信じた後も変わっていません。そして、自分勝手な

理論を絶対主に向けて、「イエス様は、こんな私を救って下さったんでしょ。私は弱い人間で

罪人だから責任なんて取れない。だから、イエス様お願いします」などと勝手なことを言って、

自分自身が負うべきものまで、イエス様に負わせようとします。そのような人は、確かに

イエス様を信じたかもしれませんが、絶対主の前に自分の罪を認めていませんから、この御言葉

に書いてある、御国に入れていただけるかどうかは、グレーです。


(転) では、この御言葉にある、「生ける絶対主の都、天にあるエルサレム」に入れて

いただける者
とは、どういう者でしょうか。それは、「悔いし砕かれた心」を持った者です。

絶対主は、「自分の罪を認める、その砕かれた心さえ持っていればいい」と仰って下さいました。

絶対主が見られるのは、その部分だけです。なぜなら、絶対主は、「自分は罪人だ」と心から

告白する者に、理解を示して下さいます。何故なら、罪人を救うために、イエス様を送って

下さったからです。私たちはいつも自分の側からしか考えておらず、罪人である自分は悲劇の

主人公で、「助けられて当然」という気持ちさえ持っています。とんでもありません。

イエス様は、そんな者のために命を捨てて下さった訳ではありません。絶対主も、そんな者の

ためにひとり子イエス様を遣わして下さったのではありません。絶対主がイエス様をお遣わしに

なられた時、どれだけ辛いお気持ちを味わわれたことでしょうか。御自分の御子が、十字架上で

苦しまれるその姿を見られて涙されなかったわけがありません。なのに、私たちのために

そこまでして下さった絶対主のお気持ちの側に立ったなら、私たちは、「せめて自分が罪人である

ことを認め、自分で犯した罪ぐらいは、自分の責任として謝って行くぐらいの潔さを持つのは

当然です」と思いませんか?

このことを、本当に心の内で理解していることが遜りであり、悔いし砕かれた心です。


絶対主は、「それさえ持っていればいい」と仰って下さり、新しい天と地の御国に入れて

下さるのです。私たちは、ただイエス様の贖いの故に天に行くことのできる者とされたのであって、

地上でのいろいろな行いによって、「天に入れる・入れない」が決まるのではありません。

ですから、いくらこの地上で、罪人の私たちが、「自分は悪くない」と言い張っても、それは何

の意味もありません。ただ遜って悔いし心を持って、イエス様に感謝し、イエス様の御心のために

生きて行くことです。イエス様は、私たちの原罪を担って贖いをして下さいました。

ただ、その故に、私たちは御国へ入れていただける者になったのです。ならば、地上で犯した

罪は、御国に入れていただく条件ではないのですから、たとえ頭ごなしに怒られて恥をかいても、

自分の責任として謝っていけばいいんです。そして、「たとえ自分が苦しい目に遭っても、

命を失うことになっても、構いません」と言って、主のために働き続けようではありませんか。


(結) 私たちが、もしその心を最後まで通していくなら、私たちは勝利を得る者となり、

絶対主の懐に行かせていただくことができます。さらに、数えきれない程に多くの御使いたちの

祝会に招いていただけるという幸いがあります。私たちは、原罪を担って下さったイエス様の

贖いの故に、御国に入れていただける保証をもらったのですから、あとは、イエス様の思いに

合わせて、一生懸命イエス様に仕えていきましょう。自分がこの地上で犯してしまった罪に

ついては、恥をこうむろうが、怒られようが、当然のごとく責任を取って、「ごめんなさい」

と謝っていきましょう。この心を最後まで貫き、ここに書いてある、「生ける絶対主の都、

天にあるエルサレム」に向かって生きて行こうではありませんか。 
  



                                      

  
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