永遠の命を求めて来た青年に、イエス様は「あなたの持ち物を売り、貧しい人々に
施しなさい。そして、わたしに従って来なさい。」と言われました。すると、彼はこの
言葉を聞いて、悲しみながら去って行きました。ここに、損得勘定が捨て切れない人間
の我が表わされています。
人は、外側は信仰深く見せても「心の奥底の我」は、決して砕きません。ですから、
イエス様よりも、捨てることのできない「欲」に留まります。すると、絶対主に
「献身して従って行きます」と、口で語っても去って行くのです。この「我」によって、
イエスキリストを裏切ることになります。これは、世の終りには、必ず現われてくる
現象です。クリスチャンにとって「我を立てることが幸いか。」又は、「我を砕くことが
幸いか。」多くの人々は、この我を砕くことを知りません。「我を砕いたら、自分の思い
通りに出来なくなる。」だから損をすると思っているのです。
しかし、自分の思い通りにして、どれだけ得をするのでしょうか。イエス様に対する
罪は、悔い改めれば赦されます。しかし、裏切りは、戻れなくなります。裏切った相手
の顔が見れなくなるからです。こうして、私たちは「ちっぽけな我」のために、永遠の
御国と引き替えにするのです。この地上の宝は、全部失っていくものです。
ですから、地上の宝は永遠の御国と天秤にかける価値もありません。主への真実を
失ったら、裏切りが自分の人生の土台となります。絶対主と富とに兼ね仕えることは
できません。すなわち、自分の「我」を持っていたら、いずれ絶対主の許から去って
行くことになります。この「心の奥底にある我」は砕かれなければイエス様に掛けて
行くことはできません。口先だけでイエス様を敬うのは止めましょう。「心の壁」こそ
私たちの「我」です。これが砕かれて始めて、信じる心が表に出てくるのです。
自分の心の壁が砕かれるように、断食して祈りましょう。
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