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2013年2月24日



『聖霊の満たしを受けていく心』



第Tペテロ5章5〜11節




(起) クリスチャンが聖霊の満たしを豊かに受けて行く心を学んで行きたいと思います。

承) さて、この910節の御言葉は、20年前の事件の時に与えられた御言葉です。

そしてそれ以後、「この悪魔に立ち向かえ。」ということをずっと語られて続けてきました。

私たちはあの時に潰れてしまったわけではなく、あの事件の経験を通して、悪魔の働きという

のは、聖書に書いてあるだけではなく、実際にあることだということを体験して学びました。

そして今、私たちの敵である悪魔に立ち向かっていくことを学んでいます。何故かというと、

この悪魔は、私たちの信仰を奪おうと歩き回っているからです。実際に、なんと多くのクリス

チャンが、悪魔の餌食となって、信仰から離れて行ったことでしょう。本来なら、
信じたクリス

チャンには、御霊という手付金が与えられています
から (Uコリント122)、信仰は失われる

ことはありません。しかし、手付け金は、手付け流れと言うこともあるのです。
悪魔によって

それを奪われてしまうことがあり得る
ということです。食い尽くすべきものを求めて歩き回って

いる悪魔は、そこまでしてくるのです。しかし、それではいけません。

 ですから、私たちは、信じた時に与えられた手付金だけではダメです。その手付金の後に、

本来の御霊が、私たちにどんどん注がれなければなりません。そして、私たちの中に満ちるほど

になったら、もうそれを奪われることはないでしょう。例えば100万円の車を買うとして、

そのうちの1万円を手付金として払っていた場合、「流れてもいいか。」と思いますが、50万円を

払っていたとしたら、「これは流すわけにはいかない。」と思うでしょう。
私たちには、上から

の力強い手付金以外の本来の御霊の満しを頂いていけば、手付金を流すことはないのです。


ですから、
満たしが必要なのです。聖霊のバプテスマによって御霊に沈められたならば、

私たちは大胆になり、力強くされるでしょう。


転) では、そのために必要なものは何でしょうか。それは、心の一致です。先日、満徳兄の

職場の方が、「喘息を癒してほしい。」と、教会に来られたので、私はそのために祈りました。

その祈りは、今のように切れ味のいい、力強い祈りではありませんでした。しかし、彼女の喘息

は癒されました。癒された理由は、癒されようとする彼女の心と、「この者が癒されるように。」

と願い祈った私の心が一致したからです。
聖霊さまの働きというのは、このように両方の心が、

ぴたっと一致した時に起こります。
「汝の信仰、汝を救えり」です。私たちの力強い働きもこれと

同じです。しかし、皆さんは頭でごちゃごちゃ考え、いくら私が語っても従おうとしません。

 聖書には、「長老に従いなさい。へりくだりなさい。」とあります。イエス様は、最後の最後

まで父に忠実に従っていかれました。イエス様は、ゲツセマネの園で初めて自分の考えを出され

ましたが、結局は、自分の心を砕いてへりくだり、「父のみこころの通りにして下さい。」と、

心を定められたのです。それは、「もう決めたから、自分はどうなってもいい。」ということ

です。従うとは、このように、どこまでも自分の主人の言われる通りやるということです。

特に、伝道者の召命を受けた17名の方々は、この従う心を身につけなければいけません。

もし途中から別の仕事が入ってきたとしても、主人からそれを求められたのならば、やらなけれ

ばいけません。すると、時間がなくなってしまい、本来やらなければいけなかったことが出来

ないということも起こってきます。しかし、そんな時、主は助けて下さいます。それを仕上げる

ために知恵を与えて下さり、上手に時間も与えて下さいます。そして、その通りにやったら短い

時間で出来てしまったということがあるのです。

 ですから、
私たちは、自分自身のこだわりや都合を入れてはいけません。それを出した瞬間に、

従えなくなるからです。
まず、「はい、わかりました。」です。その上で、「主よ、これはどう

したらいいですか?」とお聞きすれば良いのです。これが従う者の心です。そして、私たちのその

心と、創造主の心がぴたっと合った時に、聖霊の満たしが私たちの心の中に与えられるのです。

結) ですから、
私たちはもう自分の考えを放棄し、言われた通りやっていきましょう。

牧師に「こうだ。」と言われたら、素直に「はい、わかりました。」と言って、その道に進んで

いきましょう。単純・明快・ストレートで良いのです。私たちは、世界に出て行く者だと言われ

ています。それは、働きのためです。これから、主のお考えをことごとく行っていくのです。

イエス様は、「早くバチカンに行ってほしい。」と言っておられます。ですから、私たちは力を

受け、そこへ行けるような者にならなければいけません。ひとりひとりが従う心をもち、

主の働きに用いられる者とされましょう。




                                      

  
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