@ 私たちの教会が、特別な導きを受けてきた教会である事と、霊的なエリートとして訓練を
受けてきた事を学んでいきたいと思います。
A さて、私たちの教会に与えられているビジョンは、「10万人教会、ノアの箱舟ミュージアム、
バイブルランド」等です。わずかばかりの人数の中で、こうした働きに用いられていくために、
いろいろと訓練を受けてきました。そのための訓練は、一人一人が「砕かれた悔いし心」を持つ事
です。この心が無ければ主の御用に用いられないからです。
B では、「砕かれた悔いし心」について考えてみましょう。もし私たちが奉仕をして、期待に
答える働きが出来ず失敗した場合、どのような心でその失敗を受け留めたらいいのでしょうか。
ある人は、「自分は何をやってもダメだ!」と失望し、自分に落胆して落ち込み、いじけの中に
入ってしまいます。
しかし、ある人は、自分の失敗をありのまま認め、へりくだって反省し、次は、同じ失敗を繰り
返さないように、主の助けを求めつつ、一生懸命にやろうとします。
このように人は、二局に別れていきます。ここで、前者は信仰を疑い、ダメだという方向に向い、
落ち込んで沈み込んでいきます。では、何故そのような方向に向かってしまうのでしょうか。
それは、御霊の声ではなく、悪魔の声に耳を傾け聞いてしまうからです。もし、この悪魔の声に
立ち向かってその声を否定し、御霊の声に心を向けて聞いていくなら、砕かれた悔いし心へと向いて
いくでしょう。そして、まだまだ未熟だったと反省し、自分の能力の乏しさ、度量の無さを知って、
「主に頼って、もっとしっかりやっていこう!」という方向に心を向け、心を変えていくでしょう。
その心こそが、砕かれた悔いし心なのです。
しかし、この心に向かっていかないように妨げるのが悪魔です。イエス様の復活のときも、
同じことが弟子たちの中に起こりました。イエス様は、甦って初めにマグダラのマリヤに現れ
ました。
また、エマオに向かって歩いていた二人の弟子たちにも、ご自身を現されました。マリヤも二人の
弟子も、イエス様が甦られたことを弟子たちに伝えました。ところが、喜ぶどころか、たわごとの
ように思って信じようとしなかったのです。彼らは、イエス様が言われていた言葉を思い出す事も
しませんでした。悪魔が彼らの心に働いていたからです。イエス様はその夜、弟子たちの所に現れ、
その不信仰を責められたのでした。それは、甦ったことを聞いても、信じようとしなかったから
です。たとい悪魔の声があったとしても、自分たちの意志を働かせて、信じる方向に心(意志)を
向けるべきだったのです。イエス様は、その時弟子たちに、世界宣教を命じられ、その後で言われ
ました。「信じる者には、しるしが伴います。」そのしるしの一つが、悪霊の追い出しです。
このしるしが、今私たちの教会に始まってきています。このことから私たちは、私たちの戦いが
血肉との戦いではなく、もろもろの悪霊に対するものであることがはっきりと分かってきました。
悪霊は四六時中、私達に語りかけてきています。しかしながら、悪霊は、私たちの意志に働くことは
出来ません。ですから、自分の思いが悪霊からのものか、どうか?を聞き分ける必要があります。
悪霊の声だと分かったら、自分の意志を働かせて退けていけばいいのです。この特別な訓練を受けて
きた、選ばれた信者たちが私達なのです。
C 患難時代では、悪霊はストレートに私たちに向かって来ます。ですから、それを見抜いて、
退けねばなりません。その時代には、信仰を行いで表すことを求められます。行いとは、666の
悪霊を退けることです。そして今、私たちの教会は、この学びと訓練をさせていただいています。
悪霊の声か、どうかをはっきりと見極めて、主の側に立って立ち向っていくためです。その働きの
ために、一人一人が砕かれた心、へりくだった心にもって、前向きに心を遣い、主のために本気で
戦って行きましょう。 |