『神は、人の苦しみを天から見られて、
感傷的になって心を痛めることはないのか?』
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こんな質問を、大伝道者としてビリーグラハムと共に働いていた、
背教者のテンプルトンは発しました。
彼は、「神は、一羽の雀さえ忘れられないと言われたのに、世界中の男が、女が、子供が、動物が
虐殺されて死んでいく姿を見て、理性を持つ神が耐えられるはずがない。」と。
しかし、その答えは、「神は耐えておられる。」ということです。
なぜなら、神はこの世の苦悩と罪と悪に対して、ご自分の御子を身代りとして立てられ、
十字架の苦しみを見て、耐えておられたからです。本来なら、神は人の苦悩に対して
「人の不始末だから、しょうがない」と正論をぶつけることも出来ました。
しかし、信じられないことにご自分の御子を身代りに立てて、その苦しみを天から見つづけ、
贖いをされたのです。
だから、人の苦しみを天から見て、心を痛めておられないはずがありません。
このように、私たちが神の御心を知ったとき、この地上の苦しみは、自分で蒔いた
不始末ですから、私たちが苦しみを避けることはできません。
まして、神さえ通られた十字架を、私たちが通らないわけにはいかないのです。
ですから、日の出だけを感謝するのではなく、日の入りも、死も、苦しみも私たちは感謝して
受けるのです。なぜなら、その苦しみの後には、素晴しいパラダイスが用意されているからです。
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