創り主が全知であるなら、「人間の子供が、車にひき殺されそうになった場合、
予め分るのだから、じっとながめていて、何もしなかったら、血も涙もない神と言うことに
なりませんか?」と尋ねる人がいます。
確かに悲惨な出来事も、神はあえて許容しておられます。しかも、愛の神は、苦しみを意図的には
容認しているということも言えるのです。なぜなら、長期的な視点(過去も未来も見渡せる能力を
持っておられる)から、人間がより良く、又幸せになる絶妙なタイミングをもって助けることも
出来るからです。すなわち、患難でさえ人に忍耐を学ばせ、忍耐が練られた品性を作り出させ、
そこから、新たな希望が生み出させることができるからです。
人の人生は、公式通りではありません。なぜなら、人間一人一人に自由意志があり、一人一人に
選択の自由があるからです。ですから、人が自らの選択によって選ぶ賢い、幸いな人生を選び取る
自由意志を働かせるためにも、あえて、創り主は、人を助けるタイミングも
見計らっているのです。
創り主が全てを見通せるということは、現在の善悪だけでなく、未来の善悪も見通しておられる
ということです。
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