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2011年5月22日



アブラハムの信仰にならう


創世記22章1〜14節




  

@ 今朝は、アブラハムの信仰にならう生き方について学びたいと思います。

A さて、創造主はアブラハムを外に連れ出し、天を見上げさせて、「あなたの子孫は

天の星のようになる」と言われ、創造主の約束された祝福が無限大であることを示されました。

ところがその時、アブラハムには、未だ子どもがなかったのです。

しかしアブラハムは、そんな主の言葉を信じました。そして、その後彼が100歳になったとき、

待ちに待ったイサクが与えられたのです。

これでアブラハムは、いよいよ主の約束の通りになると思ったところが、創造主はアブラハムに

言われたのです。「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。

そして全焼の生け贄としてわたしにささげなさい。」と。

彼はこんな厳しい主のことばを受けても、翌朝イサクを連れてモリヤの地へ出かけて

行ったのです。


B ここで、モリヤの地に出かけて行ったアブラハムの信仰と、

彼の行いについて見ながら、私たちの教会に起こった信仰の挑戦について考えてみます。

先ず
アブラハムについてみてみましょう。彼が創造主にイサクをささげるようにと

言われたとき、それを断ることもできました。創造主によって与えられた約束の子であり、

約束された祝福を受け継ぐ子ですから、正当な理由で拒否することも出来たでしょう。

しかしアブラハムは、一切自己主張をしませんでした。粛々と、主のおことば通りにイサクを

連れて告げられた場所に行ったのです。そして着くと、祭壇を築き、たきぎを並べ、

イサクを縛ってその上に置きました。アブラハムの手が伸ばされ、刀を取って、

正に自分の子をほふろうとしたその時、天から声がしたのです。

「アブラハム。アブラハム。あなたの手を、その子に下してはならない。

わたしは、あなたが主を恐れることが良く分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ

惜しまないでわたしにささげた。」と。

そこで、アブラハムが目を上げてみると、藪の中に雄羊がおり、それをイサクの代わりに

全焼のいけにえとしてささげたのです。
もし彼が情を第一にして拒否していたら、それまでに、

主に信頼してきた人生を自分で否定することになり、主を信じ仰ぐ心も失っていたでしょう。

しかし彼は、「創造主には人を死者の中から甦らせることも出来る」と考え(ヘブル11章17〜

19)、実行しました。信仰の父と言われる所以です。


同じように、私たちの教会に起こったことも、想像もしていない全く降って湧いたような

ものでした。確かに、世の尺度によれば、私たちには何ら責任を取る義務はありませんでした。

しかし、世の価値観と判断に立つなら、霊で始まったことを肉で否定することに

なってしまいます。

また、たとい自分たちが損をしても、どこまでも主に信頼する信仰を貫いていこうとする

私たちの信仰を否定することになってしまいます。

そこで
私たちの教会が責任を取ることに致しました。アブラハムがイサクを取り戻せると

考えたように、私たちもまた同じ確信を持って行いました。それは、私たちはどこまでも

聖書に書いてあることは、今日も起こると信じているからです。


C アブラハムは、創造主を信じるが故にその信じる行いを現しました。

私たちもこの信仰の姿勢を貫き通し、アブラハムの信仰にならう者となって、この信仰を、

最後まで全うしようではありませんか。

                                        

  
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