@ 今朝は、私たちの教会が、春日井市を勝ち取っていくための、必要な心構えについて
考えたいと思います。
A さて、私たちは黙示録を通して、私たちクリスチャンが勝利者となることが
創造主の御心であると分かりました。
創造主は、死に至るまで忠実に御言に従って行く信徒を求めておられます。
ですから、「熱くも冷たくもない、生ぬるい者たちを吐き出す。」と言われています。
ところが多くのクリスチャンたちは、信仰を安易に考えています。
忠実に主に従うことよりも、「信じたのだから、こうして欲しい、ああして欲しい。」という
自分勝手な御利益信仰の中に生きています。
しかし私たちは、「勝利者となれ」という創造主の御心を真摯に受け留め、信仰の証を勇敢に
全うしていく生き方をしていくべきなのです。そして、この町をキリストの福音によって
勝ち取っていきたいのです。
B では、私たちは、どのような働きをしていけばいいのでしょうか。
イエス様が宣教を開始されるとき、まず弟子たちを召し出されました。その弟子達となる人々の
素晴らしかったところは、イエス様が声をかけられると、網を捨て、親や雇い人を置いて、
すぐに従ったことです。確かに、これほど素直な心で従ってくる人でないと、忠実な働き人には
なれませんでした。それから主の福音宣教が始められていくのですが、イエス様は、
まず汚れた霊(悪霊)を追い出したり、多くの病人を癒し、会堂で教えたりしました。
それによって、イエス様の評判が広く知れわたっていく状況の中で、
2章の出来事が起こったのです。イエス様は、連れて来られた病人ではなく、
つりおろした者たちに目を向けられました。彼らが簡単に諦めず、屋根を剥ぎ、
穴を開けてつり下ろすという、実に、「そこまでするのか!」ということをしたからです。
主は、彼らの「主を仰ぐ心」を見たのです。
そこで病人に対し、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われました。
それに対して律法学者たちは、「罪を赦す権威は創造主にしかない。
そんなことを言うのは創造主を汚すことだ。」と、批判しつぶやいたのです。
しかし、それを見抜かれたイエス様は、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることが、
あなた方に分かるために。」と、中風の者に向かって、「床を取り上げて歩け」と
癒されたのです。
即ち、癒しを通して、罪を赦す権威を持っていることを彼らに明らかにされたのです。
それは、主の働きに続く、使徒たちの福音宣教においても、同じような働きが
行われていきました。
「主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。」
(マルコ16章20節)。とあるように、これらのことから、悪霊を追い出し、癒しをすることは、
福音宣教のセットであり、両輪であるということです。
ですから主は、12使徒を選ばれたとき、悪霊を追い出す権威と、癒しを行う力を
持たせられたのです(4章15)。このように、私たちもまた、同じ働きをしていくのです。
C また、イエス様は、働きの中でたびたび寂しい所に行き祈られました。
ですから、宣教の働きは、祈りもまたセットなのです。「主はしてくださるんだ。」という、
主を信じ仰ぐ心と、汚れた霊を追い出す権威と病を癒す力をもって、一人ひとりが熱心な心で
主を証し、勝利を得る者として信仰の生涯を全うしていくことが主の御心なのです。 |