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2011年11月27日




『主の助けによって』


ピリピ2章12〜18節



  

@ 私達がどのような境遇の中に置かれても、つぶやかず、疑わずに行っていくようにと

勧められています
ので、その理由を、学んでいきたいと思います。

A さて、ピリピ書は、クリスチャンたちの「
証しの努力」のために書かれた手紙です。

そこで、パウロは、クリスチャンが、救われた後の残りの生涯をどのように歩んで行ったら良いのか、

勧めています。
「一層従順でいて、恐れおののいて自分の救いを達成してください。」と。

「この達成する」ということは、具体的に形を残していくことです。即ち、キリストによって

救われた者が、義の実を刈り取っていくために、一生懸命証ししていくようにということです。

そのために創造主は、私たちに志を与え、実現するように導いて下さるのです。


B では、パウロの生涯を念頭に置きつつ、私たちが志を実現していくために、必要なものは何か

を見ていきましょう。パウロは、「キリストの日に、私は自分の走ったことが無駄でなく、

労したことも無駄ではなかったと誇ることができる。」と言っています。それは、私たちの残りの

人生においても、苦労があるということを意味しています。確かに使徒パウロの生涯は、苦難と労苦

の連続でした。当時の世界の中心地であるローマに行って、イエスがキリストであることを証する

任務が与えられましたが、それは、わざわざ敵地に乗り込んでいくことでした。

ですから、その任務を果たし終えるということは、苦労と苦しみが織り込まれていたのです。

これは、パウロがクリスチャンたちを苦しめたから、特別に味わったというのではありません。

救いの必要を感じていない異邦人の所に出かけて行ってキリストを証しするのですから、戦いがある

のは当然だからです。それだけでなく、ユダヤ人からも反発と妨害と数々の苦しみを受けました。

又カイザリヤでは、二年間も獄屋に留め置かれました。また、ローマ行きの船は暴風にあって

漂流し、死ぬばかりになりました。これらのパウロに起こった様々な出来事を見るとき、
全能主が

おられるのに思い通りにいかない現実を見せつけられます。
それは、イエス様の御生涯についても

同じことが言えます。被造物の姿を取って、人間世界の苦しみや汚れの中に身を置かれたが

イエス様は、人間と同じ苦脳を味わわれました。しかし主は、十字架の死にまで従順に従われた

ことによって、苦しみを乗り越えて行かれた方だと分かります。このイエス・キリストのゆえに

救われた私たちも、罪から贖われ創造主の子にされたにもかかわらず、思い通りに行かないことが

一杯あります。それは、この社会が創造主を認めようとしない反発する社会であり、歪んだ社会、

自分のことばかりを求める社会だからです。
ですから、思い通りにいかないのは当たり前のこと

です。
しかし、そんな中にあって、能力もなく、力もない、弱い人間が、主の助けによって出来た

なら、その時その人は世の光のように輝くのです。ですから、つぶやかず、疑わずに行うのです。

そうすれば、重ねた努力と労苦は、キリストの日に輝きます。



C 私たちクリスチャンには、主の助けがあります。ですから、「弱いときにこそ強い」のです。

証のためには努力が必要であり、様々な戦いがあることを認めて、つぶやかず、疑わずに、

信仰を働かせて、閉塞状態を乗り越えていきましょう。  
                                        

  
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