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2010年3月14日





良いわざに励んでいく生き方とは





テトス2章14節




  

@ 今朝は、「良いわざに熱心になる」ためにはどうしたらよいのか、学びたいと思います。

A さて、14節で次のように言われています。

「キリストが私たちのためにご自身を献げられたのは、私たちをすべての不法から贖いだし、

良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」と。

このみことばを読むと私たちは、良いわざに熱心でありたいと思います。ところが、生まれながらの

肉を持つ私たちにとっては、「とても無理。」と思ってしまい、スラッと流したくなってしまいます。

エバの堕落以来、肉の思いのままに生きる者となってしまったからです。しかしキリストは、私たちを

そのような不法から贖いだし、良いわざに熱心な者とするために十字架にかかって下さったのです。

B では、良いわざに熱心な者となるためにはどうしたらよいのでしょうか。

先ず生まれながらの肉からは、良いわざは一つも出てこないことを、ハッキリと認識すべきです。

何故なら、善をしたいという願いがいつもあるのに、したくない悪を行ってしまうからです。

それは、アダムとエバの堕落によって私たちの霊は死んでしまい、肉にすぎない者となってしまった

からです。こうして肉は無力になったために、律法にかなう良いわざを行うことができないのです。

(ロマ8章3節)。ですから、
そんな私たちのためにイエス・キリストが来て下さり、私たちの肉を

十字架につけるために、身代わりとなって肉を裂いて下さいました。


このことを信じたクリスチャンは、死んでいた霊がキリストの故に生きる者となり、キリストによって

歩み始める者となったのです。これまでの私たちは、霊が死んでいたので、霊的な良いわざの、

生き方というものを知りませんでした。ですから、霊的な生き方がどういうものかを、へりくだって

学び始めるのです。しかし、意識しないと生まれながらの肉的なやり方をやってしまいます。

自分にとって一番やりやすい方法であり、都合の良い生き方だからです。

こうして日常の生活の中では、神を信じる霊的な生き方と、肉的な生き方とを混ぜこぜにして生きてし

てしまっているのです。これでは、良いわざに歩むことは出来ません。良いわざに生きるためには、

肉的な生き方を捨て、霊的な生き方をはじめることです。そのためには、霊的な考え方を一から学び

始めることです。
この
へりくだった心が良いわざをしていくスタートなのですから。

C 私たちの創り主は、全ての人を「私はあなたを愛している。あなたは高価で尊い。」と言って

くださいます。ですから、罪によって汚れた肉を全面的に否定、新たに生かされた霊の中に歩んで

いくと決断することです。
この生き方をへりくだって学んでいきましょう。それが良いわざに熱心な

者として励んでいく生き方だからです。主はそのために私たちをきよめて下さいました。

しかしながら、新しい方法は、直ぐには身につきません。ですから、失敗したなら、そのまま謝って

いきましょう。もし自分の肉を守ろうとするなら、キリストの十字架を無駄にすることですから、

肉は、100%十字架につけていくべきです。

この生き方の中に歩み出そうではありませんか。(ガラテヤ書5:24)

                                        

  
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