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2010年2月28日





内なる人は日々新たにされる





第Uコリント4章16〜18節




  

@ 今朝は、16節のみことばー「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされて

います。」―について学びたいと思います。

A さて、創り主は、御自身がどんなに凄い方かを理解できるように、私たちの心を照らし、

主の栄光を知る知識を、この土の器の中に入れて下さいました。それはこの測り知れない力が神の

ものであって、私たちから出たものではないことが明らかにされるためです。(6,7節)。

この
土の器とは私たち自身のことであり、私たちの「外なる人」のことです。初めの人アダムは、

土地のチリで創られ、神がいのちの息を吹き込まれて、「生きる霊」となりました。

しかし、この
土の器は、罪によって肉にすぎないものとなり、日々衰えていくものとなったのです。

B ところが、「内なる人」は、日々新たにされると言われるのです。それはどのような意味なので

しょうか? アダムは、いのちの息を吹き込まれたときから、肉体と生ける霊を持ちました。

ところが、罪を犯したことによって霊は死に、人は肉にすぎないものとなってしまいました。

そこで神は、人を新しく生かしたいと思われ、神の御子のいのちによって、人間の肉の償いされ、

新たな霊によって生きる者にしようとされました。すなわち、人の霊が新たに生かされるためには、

罪の贖いが必要です。そのために主は、聖なる神のみ姿をお捨てになり、堕落したアダムの子孫である

マリヤの肉を取られました。私達の身代わりとなるためには、全ての点で私達と同じにならなければな

らなかったからです。しかし、イエス・キリストは罪を犯されなかったので、私たちの身代りとなって

贖いをして下さったのです。ですから、もし私達が自分の罪を言い表すなら、神はその罪を赦し、

私たちをきよめて下さるのです。こうして
キリストの霊を頂いて生きる者となるのです。

それが内なる人です。
その生き方は、自分の損得のためにではなく、自分のために死んで甦って下

さったキリストのために生きる者となるためです。
自分の力で生きるなら限界がありますが、

キリストの霊でキリストのために生きていくなら限界はありません。そこには、日々新しくされ、

神の栄光をしる知識で満ちていくからです。しかし、外なる人である肉は新しくなりません。

この古い人は改善されませんから、ただ脱ぎ捨てていくのです。ですから、古い自分を大事にしよう

とするのではなく、
内なるキリストの霊によって生きていくのです。そうすれば、内なる人は

日々新しくされて、神を知る知識に満たされ、その結果、霊は日々喜びの中に生きるようになり、

地上にいながらして天上人として生きて行けるのです。

C 私たちは、この地上にいる間は肉を持っていますから、この肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らい

ます。しかし、もし御霊に逆らって罪を犯してしまった場合には、「叱られるのは当然だ。」と、

そのまま告白し、「処罰が怖いから」、といって自分を守ろうとする動機から謝るのではなく、

「処罰を受けるのは当然」という心で謝るなら、その罪を赦し、神の平安を下さるのです。

それは、私達と同じ罪深い肉を取って、身代わりとなって死んで下さったイエス様がおられるから

です。
私たちはこの方に目を留めていきましょう。そうすれば、内なる人は、日々新たにされ、

喜んでキリストのために、生きていける者になるのです。 

                                        

  
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