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2009年7月19日





『御霊の賜物』


                 

Tコリント12章1〜11、31節、13章1〜8節





                   
@ 今朝は、コリントの手紙から「御霊の賜物」について学びたいと思います。

A さて、私たちは、「空っぽの器に油が満たされる。」ということを学んだ時、ちょうど

自分たちには何の力もなく、実に力不足の者であることを痛感させられていた時でした。そして、

その時から今日に至るまで、信仰の力を頂きたいという切実な祈りが続けられてきました。そして、

その祈りの中に、聖霊の満たし、聖霊のバプテスマというのがあったわけです。また、御霊の現れで

ある賜物も頂きたいという祈りをずっと続けてきました。それを頂いたなら、私たちの信仰は強く

なるだろう、力不足だった私たちは変わるだろうと考えたからです。しかし先日、「これさえ

与えられたら大丈夫だ。」という訳ではないということを教えられましたので、今朝は、そのことを

学んでいきたいと思います。

B では、実際に御霊の賜物を頂いている、ある教会の実情を念頭に置きながら、私たちの教会に

対する主の御心について考えてみましょう。これまで私たちの教会は、教派を越えて、いろいろな

先生方と出会い、多くの先生方から信仰とその心を学んできました。そして今、御霊の賜物を頂いて

いる方々との交わりを通して、「御霊の満たし」について改めて考えさせられたのです。率直に

言って、「御霊の賜物を頂いているからといって、信仰が強くなるわけではない。」ということ

です。というのは、信仰は、困難にぶち当たったときに、その真価が試されるからです。どこまでも

主に信頼するという信仰の心がないと、御霊の賜物を頂いていても、それが信仰の力とはならず、

弱気になり、惨めな信仰をさらけ出してしまうからです。それは、愛のない状態をさらけ出すこと

でもあります。もし私たちも、早期に御霊の賜物を頂いていたなら、傲慢になり、それがあるなら

信仰も大丈夫だと錯覚し、実際は、相変わらずの力のない教会であったかもしれません。

しかし主は、私たちの教会に次の御言によって、試練と苦しみを通して、とことん主に信頼すること

を学ばせて下さいました。「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。・・・あなたがたを

しばらくの苦しみの後で完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」

(Tペテロ5章9,10節)。それは、主に信頼していく信仰を妨げる肉を砕く訓練でもありました。

そして、どこまでも主にへりくだり、砕かれた悔いし心を持って、主に信頼する道を全うしていく

ことを学んできました。それは、いくら、賜物をいただいていても、困難が来ると自分を守り、

自分の考えでやってしまうからです。「たとい、自分の願い通りに行かなくても主に従います。」

という心を刻むことこそ、信仰に立った生き方をする大事な点だからです。経済的にも主は今日まで

支えて下さり、「先ず神の国と、神の義を求めていく」生き方が通用する確信を与えて下さい

ました。しかしそれは、御霊の賜物を求めないということではありません。私たちの願いは、人々の

魂の救いのためには、リバイバルが必要であり、そのための賜物はいただきたいと思うからです。

ですから、自分のためにではなく、伝道のために賜物を頂きたいのです。御霊の働きなくして

リバイバルも10万人教会もありえないからです。

C 13章には、愛の形が13出てきます。

自分には愛はないと思って読んでいましたが、自分の肉を砕いていったとき、自然に愛の心が

身についているのを覚えました。ですから、へりくだった心を以って、どこまでも主に信頼して

いくならば、必ず、主は成し遂げてくださるからです。この信仰の原点こそ、強く、堅く信仰に

立つ秘訣であったからです
 



    


                                        

  
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