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2009年11月8日



『肉を砕いて空っぽの器に』





使徒13章13〜52節




  

@ 今朝は、「罪の肉は、叱られて砕かれていけばいいんだ。」ということをパウロの説教から学び、

「空っぽの器になって行けばいいんだ。」ということを学んで行きたい
と思います。

A さて、パウロは、自分たちの同胞がどのような歩みをしてきたのか、その歴史を通して、同胞の

かたくなな心を攻めています。それは、パウロだけではなく、ステパノやペテロも同じように語って

います。即ち、創造主がイスラエルの民を選び、主の命令に従うようにと預言者を送られたのです

が、主に逆らい通し、預言者さえも殺したからです。そして、今あなたがたも神がお送りになった

救い主イエスさえも罪に定めて十字架につけて殺してしまったのだと断罪しています。それは、

かたくなな罪を認めて、心を砕いて主にへりくだることを願っているからです。これがパウロの

説教の目的なのです。そして、それはまた、私達へのメッセージでもあるのです。


B では、私たちとの関わりを考えてみましょう。まずパウロのメッセージを見ていくと、

イスラエルの罪がどういうものかをはっきりとわかります。それは、神に従うと言いながら、

自分たちの言い伝えにこだわり、神の御心には従いませんでした。ですから、神が送られた預言者

さえ殺した子孫であると断罪しているのです。このパウロの断罪に対して、イスラエルの人々は

どのような反応をしたのでしょうか。

二つの反応がありました。先ず一つは、心刺され、「そうなんだ。神の前にへりくだって聞いていく

べきだ。悔い改めよう。」という人々と、もう一方は、「罪を指摘されたことに反発し、口汚くの

のしる者たち」です。彼らは、神の前にへりくだろうとせず、どこまでも自分の思いを通す者たち

でした。この二つの内、どちらを選択するのか、いつも迫られているのです。それは、私たちも

同じです。というのは、私たちが怒られたとき、すぐ反発して、怒られたくないという顔つきを

します。それは、イスラエル人と同じで、自分のわずかばかりの義を大事にして、肉を砕きたくない

からです。「空っぽの器に油が満たされる。」と示されてから、受けてきた取り扱いは正しくこの

ことだったのです。私たちは、今、「砕かれた悔いし心」となって、空っぽの器を持たねばならない

ときに来ています。しかし、叱られ責められたとき、へりくだることを嫌い反発します。

しかしその時こそが、心の分かれ目なのです。むかつく心や反発する心を砕いて自分の過ちを認める

なら、私たちの心には、神からの平安がやってくるのです。「神は、砕かれた悔いた心をさげすまれ

ない」からです。詩編のダビデの言葉からも分かるように、幸いな道は「我を砕いていくこと」なの

です。その心を吐露し、神にへりくだった心を表したのが、詩篇51編です。神は私たちに、我を

砕くチャンスを下さっています。「叱られたとき、断罪されたとき」こそ、そのチャンスの時なの

です。神は、パウロを通して、イスラエルの民が心を砕いて罪を認め、主に立ち返るチャンスを

与えておられたのです。私たちもそのチャンスを生かし、自分の肉を砕いて行くべきです。


C
 私たちが、たとい聖霊の満たしを受けたとしても、反発の根があったなら、主からの賜物も

有意義に用いてもらうことはできません。プライド・我・肉が邪魔して自分の考えを通し、主に従い

通せなくなるからです。しかし、へりくだって主に従い通したなら、「その道を歩んで良かったナ。」

と、天で喜びが湧き上がるでしょう
。私たちの願いは、主に使って頂くことです。それが私たちの

喜びだからです。だからこそ肉を砕いて空っぽの器になり、主に従い通して行きましょう。

                                        

  
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