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2009年1月11日








『鵜呑みの信仰』





ルカ8章40〜56節





@ 今朝は、「鵜呑みの信仰」について学びたいと思います。

A さて、「人の言うことを信じる」ということは、「相手の言葉を鵜呑みにする」ということ

です。しかし、大人であれ子供であれ、生まれながらの人間は、人の言葉を鵜呑みにすることが

嫌いです。それは、アダムの罪の起源が、自分の知恵で思い通りに生きたいというところから

始まっており、その性質が子孫としての私達の内にしっかりと染みついているからです。

ですから、たといキチッと説明されたとしても、自分の知性や経験を働かせて考え、心で納得して

「ウン」と言えなければ受け入れようとはしません。ですから、主のことばをそのまま信じていく

ということは難しいのです。ところが、イエス様を信じた時、私たちは全てが分かって信じた

訳ではありません。聖書の御言を、「そのまま鵜呑み」にしたのは事実です。それは、神の言葉で

あるなら、そのまま「信じます。」と言うべきだと思ったからです。そして信じてみて、初めて

救いが分かったのです。この信仰の正しさは、ヤイロと長血の女が、この信仰に立って祝福を

味わったことからも分かります。

B では、このヤイロと長血の女の信仰についてみてみましょう。ヤイロは会堂管理者であり、

彼のひとり娘は死にかけていました。普通、娘が死にかけているなら、その事実を受け止めて、

「ただ」傍についていてやろう、と思うことでしょう。しかし彼は、死にかけている娘の傍を

離れ、イエス様の所に出かけて癒しを願ったのです。ところが、家に帰る途中に、娘は死んだとの

知らせが入ってしまい、「もうダメか。」と絶望したことでしょう。そんな彼に対して主は言われ

ました。「恐れないで、ただ信じていなさい。そうすれば、娘は直ります。」。そして、娘の部屋

に入り、その手を取って「子どもよ。起きなさい。」と言われると、娘の霊は戻り、直ちに起き

上がったのです。もしヤイロが、イエス様のおことばを信ぜず、「死んだものはもうダメだ。」と

思ったなら、イエス様を娘の所に案内しなかったでしょう。しかし彼は、主の言われたことを

「そのまま鵜呑み」にしたのです。確かに人は、その魂が体から離れたら死んでしまいます。

しかし、霊魂を吹き込んで、人を生きる者とされたお方は全能主ですから、それをまた戻す権威と

力があります。ですから、死んだ娘の霊を戻し、生き返らせることが出来たのです。これが聖書の

世界なのです。さて、もう一方の長血の女はどうだったでしょうか。彼女はイエス様のことを

聞き、「お着物の房にでも触れたら直る。」と信じて、背後からそっと触ったのです。すると、

たちどころにその病が直りました。イエス様は彼女に言われました。「あなたの信仰があなたを

直したのです。」と。彼女は、「イエス様なら、何とかしてくれる。」とイエス様をそのまま

信じたのです。イエスは道、真理、命ですから、主の言葉は「そのまま鵜呑み」にして信じ、

受け入れていいのです。それが正しい信仰なのです。

C 
私たちが、「砕かれた悔いし心」を学んできたのは、自分の考えに頼らず、主の御言葉を

そのまま信じて「鵜呑みにする」ためでした。そこから主への信仰の第一歩が始まるからです。


今年も、「もうダメだろう。」というような事が起こってくるでしょう。

それでも、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」と、この信仰を表していきましょう。





    


                                        

  
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