ある人が、年老いて老人ホームに入り、「人生の終着駅に来た。」と言われました。
何と空しいことばでしょうか? 一生懸命子供たちを育てて、たどり着いたところが、
死を待つための終着駅とは! 精一杯生きてきた報いが、老人ホームではやりきれません。
しかも、その先のレールがないのです。いったい私たちの人生のゴールは何なのでしょうか。
それを教えているものがあるのでしょうか? 進化論では、死んだら終りです。では、神道は
どうでしょうか? 神道は人が死ぬと汚れた黄泉の国へ行くと教え、やがて魂は消え去ると
いいます。仏教ではどうでしょうか? 釈迦の教えでは、生まれる前と死後のことについて
しゃかむに
は沈黙しています。釈迦とは、釈迦牟尼の尊称で、牟尼とは沈黙の意味で、「知り得ないこと
については、沈黙する。」ということです。輪廻思想は、ヒンズー教(バラモン教が前身、
六道輪廻の宿命観に束縛されていた)から、釈迦の死後600年程たって大乗仏教の中に
取り入れられたもので、もともとの釈迦の教えの中には、「生者必滅」と言って、生まれた
者は必ず滅するので、永遠不変の実体の存在は認めませんでした。
ところが、聖書には、人生のゴールについて明確に示しています。「キリスト・イエスに
おいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている。」
(ピリピ3:14)とあります。もし、人生の目的を地上に求めるならば、ヤドカリが、
貝がらを残して消えていくように、地位と名誉と財産の全てを残して去っていく人間は、
何のために労するのか分からなくなります。しかし、聖書は、永遠に続く新しい天と新しい地
に入ることを約束しています。そこには、もはや死もなく、悲しみ、叫び苦しみもない。
だから、人生のゴールは、天にある永遠の祝福に入ることです。
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