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2008年1月6日



                   



                       『シンプルな信仰に立って』






 ルカ9章18節〜27節





@ 今朝は、「シンプルな信仰」に立って伝道していくことを学びたいと思います。

A さて、今年の信仰のテーマは、「シンプルな信仰」です。その土台は、「御言をその

まま信じていく」ことにあり、燭台にフタをしないように、御言の光を覆わないように

することです。私たちは、自分に都合の悪い御言は勝手にフタをしてしまうからです。

例えば、「自分を捨て、自分の十字架を負ってついて来なさい。」とか、「自分の父、母、

妻、子、兄弟、姉妹、自分の命までも捨てなければ弟子になることは出来ない。」という

御言は無視され、自分の都合のいい御言だけを心に留め、あえて自分勝手な信仰に走って

複雑な信仰にしてしまうからです。

B では、「シンプルな信仰」について考えてみましょう。イエス様は弟子たちに問われ

ました。「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。」。ペテロは答えます。「神の

キリストです。」主は、それを聞いてペテロに言われます。「わたしは捨てられ殺される。

だが、わたしを神の子キリストと信じるなら、どんなことがあろうとも信頼してきなさい。」

と。それは、「自分に都合の良いときだけ従う」という、そろばん尽くで従っていくもの

ではなく、どんな逆境に遭遇しても最後まで従っていくのだよと言われているのです。

例えば、普段自分が依り頼んでいるもの、「父、母、妻、子、兄弟、姉妹等々」を捨てる

ことがあっても、主に従っていくことです。それは、私たちが全てのものを失ってスッカ

ラカンになった時こそ、信じる者に働く神の全能の力を味わう時だからです。

ところが、私たちの心には損得勘定が染み付いていますから、肉の性格は打算的であり、

その上この世は打算の世界ですから損をしない生き方をするように生きてきました。

しかも、この世は悪魔の支配する世界です。ですから、この悪魔から、「打算によって

自分を守ることが自分の幸いになる。」と騙されて来たのです。この打算や損得勘定が

入っていると、シンプルにはなれません。主に従う生き方は、打算とは相入れないもの

です。主自らが、神のあり方さえお捨てになり、全ての打算を捨てて十字架を負ってくだ

さいました。ですから、私たちも打算によって自分の命を守ろうとする者は、それを失う

のです。打算によって全世界を手に入れても自分自身を失ったら、何の得がありますか?

ですから、私たちの心に染み付いているこの打算を捨ててこそ、本当の信仰が学べるのです。

それこそ砕かれた悔いた心であり、たとい損をしても主に従うという明け渡された空っぽ

の心を持って、初めて「シンプルな信仰」に立つことが出来るのです。

C 
「シンプルな信仰」とは、「出来る出来ない」ではなく、御言に示されている判断で

やっていくということです。また、自分の損得で御言にフタをしないことです。
私たちは


弱く、自信もなく、ビビッていても、シンプルな信仰に立つなら、そこに全能の神、救い主

が働かれるのです。打算では伝道は出来ません。伝道は100%持ち出しだからです。

ですから、最後まで打算を捨て、「シンプルな信仰」に立って伝道していきましょう。

                            




    


                                        

  
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