『罪の処理と悔い改め』
罪とは、ギリシャ語でハマルティアといい「的はずれ」という意味です。
具体的には、「創造主から外れて自分勝手な生き方をしていること」です。
人は創造主に対して的が外れたため、その心は、悪に傾く思いを持つようになり、心の中に
「悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、
高ぶり、愚かさ」を持つようになり、これらの悪の要素が心の中にある結果、人は具体的な
悪を行うのです。そして、その罪に対する報いとして、創造主から死のさばきを受けるのです。
すると、この罪からの報いは、どうすればよいのでしょうか。この罪の処理は、罪のないキリ
ストの命、丸ごと交換していただくことによってのみ可能です。そのためにキリストは死にま
した。では、私たちの悔い改めとは、何でしょうか。この「メタノエオー」というギリシャ語
は、「考え方と行動の原則を変えて方向転換すること」です。生まれつきの人は、損得だけで
生きています。イザとなったら「きれいごとなど言っておられない。」というのです。
しかし、私たちは「食べるにも、飲むにも、何事をするにも、主に喜ばれるようにします。」
すなわち、創造主に喜ばれるように、創造主の栄光を表わすために方向転換をするのです。
なぜなら、私の命を創って下さった創造主に従うこと、信頼することは、当り前だからです。
私たちの命の唯一の絶対者、唯一の全能者に方向転換するのは当り前です。人間にとって、
命の創造主から離れて、自分の存在はありませんから。 |
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