@ 今朝は、イエス・キリストを信じた者たちの立場と聖化、また歩みについて学んでみたいと
思います。
A さて、10章14節に、「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、
永遠に全うされたのです。」とあります。これは、キリストを信じた者たちは、永遠に聖なる者
とされたという立場を頂いていることで、これほど有り難いことはありません。確かに、救いは、
私たちの努力や行いで手に入れることはできません。神の御子が、私たちの罪の代価を完全に
支払ってくださったため、私たちは完全に贖われたのです。それは歴史的事実ですから、信じて
受け取る時、一生涯の罪は総まとめで解決するのです。これがクリスチャンの平安の基です。
しかしながら、私たちは肉を持っていますから、罪人としての血が騒ぐことも事実です。
それ故に、聖なる者とされた者は、それにふさわしい生き方を生涯の中で訓練されつつ聖化されて
行くのです。
B では、イエス・キリストの血によって聖なる者とされた者の地上での歩みについて考えて
みましょう。結論から言うなら、「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」
(コロサイ3章2節)、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6章33節)
と言われているように、「天の生き方をして行きなさい」ということです。しかし、「地上で
生きているのですから、地上の生活を無視することは出来ません。衣食住は、地上で生きている
限り必要です。しかし、天の父は、私たちの必要は全てご存じで、私達が、神の国と神の義を
第一に求めていく時、すべて添えて与えて下さると約束してくださっています。なぜなら、元々、
私たちが労働する健康、地に蒔く種、水、光、空気などのすべてが父から与えられたものです。
これらの一つでも人間の力で手にしたものはありません。もちろん私たちの命もです。自分の
体の中で、一つでも自分で造った所はなく、その命の始まりである受精卵は、0.2ミリという
微小なものが分裂して60兆にもなり、人間として生まれてきます。もし偶然の仕業なら、
お化けの固まりとなって生まれてきてもおかしくありません。しかし、細胞の核には、
2メートルもの染色体がしまい込まれており、百科事典700冊分の情報に従って、分裂した
細胞は人間の体を形作っていきます。しかも、生まれたばかりの、何も学習していない赤ちゃん
が、お乳を吸うという本能を持ち、また心を持ったものとして生まれてくるのです。これは、
意図的に設計図を仕組み、本能さえも備えさせる全能主がいなければ決してありえないことです。
即ち、この方によって命が与えられているのであり、生きて行く環境も、全部与えられているの
です。ですから、自分の命は自分で造っていないので、自分のものではありません。
C ということは、私たちがこの地上で生きていく歩みは、この方、創造主のお考えを無視して
生きるのではなく、この方の要求を満たすために生きていくのが自然なのです。私たちは、この
地上に生きている者ですが、天の生き方をしていくことです。それが、この地上でも通用する
ことを証ししていきましょう。 |