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2007年1月7日




    『信仰のレベルアップ』



ルカ5章1節〜11節




@  今朝は、信仰のレベルアップについて学びたいと思います。

A さて、信仰は、イエス様を中心にしたものでなければなりません。ところが、知識では分かって

いても、イザその時となると自分中心に考えてしまいます。弟子たちも同じでした。彼らは、

群衆を前にして、「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。」と言われたとき、直ぐに自分の

頭で考えました。目の前には、男だけで五千人、女・子供を合わせたらその3〜4倍の二万人は

いたでしょう。けれども、手元に有るのは五つのパンと二匹の魚だけです。そこで彼らは、ダメだ、

と考えたのです。しかし、イエス様は、そのようには考えていませんでした。主は、その五つの

パンと二匹の魚で養われたのです。イエス様の考えの中には、5千人の人々にご自分で、食べ物

を与えることを考えておられたのです。私たちは、このイエス様の考えを自分の考えの中心に

していかねばなりません。


B では、弟子たちは、イエス様にどのように答えていくべきだったのでしょうか?その答えは、

その後で直ぐ分かります。主は五つのパンと二匹の魚で5000人を養われたのですから、

イエス様は、それが出来るお方であるという考えに立って答えるべきだったのです。考えて

みましょう。イエス様は、水の上を歩かれ、長血の女を癒やされ、ヤイロの娘を生き返らされる

という、人の常識を越えたことをされていました。弟子たちは、それらをつぶさに見ていました

ので、自分の頭の枠の中で考えて判断してはいけなかったのです。それは、湖で暴風にあった時

もそうでした。舟が水をかぶっても熟睡しておられるイエス様にいらだちを覚えて起こして言った

のです。「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」と。 それに対し、

イエス様は言われました。「あなた方の信仰はどこにあるのです。」と。「恐れず信仰を働かせよ!」

ということです。例えば、長血の女は、イエス様を力のあるお方だと信じ、「お着物の房にでも、

さわれれば直る。」と考えてさわりました。その結果、「あなたの信仰があなたを癒やしたのです。

安心して行きなさい。」と言われたのです。ヤイロの娘の場合も、死んだという知らせが入った

にもかかわらず、ヤイロに言われました。「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば、娘は直り

ます。」と。ダメだと考えず、大丈夫だと信じることが主の御心であり、お考えなのです。

 しかし、私たちは直ぐに、自分の経験に頼って判断しますが、それは主の御心にかなったもの

ではありません。もし弟子たちが、主は手もとにある五つのパンと二匹の魚で群衆の空腹を満た

される方だと信じる心があったなら、次のように答えたでしょう。「イエス様、配りますからパン

を下さい。」と。創り主にとって不可能はありません。ここにベースを置いた信仰に立って答えて

いけばいいのです。それは、カッコいい答えであり、大ミエを切った答えのように思えるでしょう。

しかし、
自分の能力の中で、主に仕えて行こうと思うのは大間違いです。人間の命を創られた方

ですから、人間より遙かに力のある、全能主に信頼して判断することは、正しいことです。

私たちは、信仰による発想の転換をするのです。


C 私たちが、
「今生きているのは、キリストを信じる信仰によって生きている者たち」ですから、

自分の力を信じているわけではありません。不可能な事は1つもないキリストを信じています。

ですからビビらず、恐れず、臆せず、あえて前向きな考えに立って言葉を発していくのです。

ここに、信仰のレベルアップがあります。この信仰の転換をこの年から始めていきましょう。

ダメだという意識は、クリスチャンにとってタブーです。信仰とは、不可能のないキリストの

中にあって生きていくことですから。

    



                                        

  
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