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2006年 NO.148



         
『信仰の確信』







 信仰の確信・救いの確信は、神が成された客観的事実に安住することです。
                とら
救いは、どちらかというと主観的な捉え方をしがちであり、自分たちを苦しみから救ってくれる

救い主という信仰から入ります。それは自分の罪を赦し、自分を愛し、自分に恵みを注いで下さる
                          いま
救い主としての信仰です。ところが、未だ、罪の性質は消えず、罪に苦しみ、結果の出ない自分を
                                  ぎしんあんき
見ると、本当に自分は救われているのだろうかと疑心暗鬼になります。すると、愛されていること

を感じたい、恵みを体験したいという思いの中に入ってしまうのです。こうしてキリストの救いも、

自分のダメさかげんを思い知らされる度ごとに、ぐらぐらと確信を失うのです。これは、救いを

非常に主観的な事柄として捉えているからです。ところが、創造主の存在は、進化論がどうの

こうのという問題ではなく、私たちが自分の命を1つも造ったところがないと分かれば弁解の余地

のない客観的な事実であると確信できます。同じように、キリストの救いもその創造主に造られた

救い主キリストが、命をかけて救って下さった客観的なことであると分かれば、私たちの側の

出来の良し悪しによらない、完成された救いだと確信できるのです。

キリストの救いは、客観的な事実に立つことなのです。

                                    



     
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