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2005年 NO.131



 ふく いん せん きょう                       
『福音宣教について V』



 

ヘブル語のエロヒムを「神」と翻訳した日本語の聖書は、福音宣教の妨げになっています。 
                                  まつ
なぜなら、「神」と言えば、日本では神社・仏閣に祀られ、天皇も神として祀られた時期がありま
                     のぎ    すがわらのみちざね 
す。すなわち、英雄とか特別に能力のある人(乃木将軍・菅原道真)などは、人間が神となって
                    はんしんろん
祀られてきました。すなわち、日本の神概念は汎神論の神であって、それは八百万の神々であり、

キリスト教の神は、外国の神々として意識されてきただけです。そこには、唯一の神・全能の神・

全知の神として意識されなかったのです。しかし、聖書のエロヒムは万物の創造主であり、唯一の

全知・全能の絶対者です。たとえば人間の体は、どれ1つ取っても、自分で造ったものはなく、

全部創り主によって造られたものです。
だから、「自分の思うようにならない」のは、当然のこと

であり、このお方に全面的に従うことは当たり前のことなのです。これは、信者も未信者も同じ

です。ですから、人間の命の厳密さを証しすれば、自ずから、唯一の神が分り、造り主とつくられた
                                そうぞうしゅ
者の人間の立場が意識されてきます。ですから、私たちは、聖書の神を「創造主」とお呼びすべき

です。この創り主との関係は、人間として生きることの土台であり、又信仰の土台でもあります。


まさに今、日本にはキリスト教宗教改革が必要です。創造主としてのエロヒムを伝えなければ、

日本の教育はだめになってしまいます。自分の命が、造り主によって、よく考えられて創られた

尊い命であることが分らなければ、「ゴキブリも人間も同じだ」となってしまうのです。私たちの

生き方を「創造主」を土台にしていくとき、人間として生きる道も、信仰の道もはっきりしてくる

のです。


                                    



     
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