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          2005年8月14日



「全能の神を信じる心」

ヨハネ11章1〜44節




@ 今朝は、イエス様が「憤りを覚えられた」のは何故なのか?を考えながら、私たちの信仰の

成長に必要なものは、“砕かれた悔いし心”であることを学びたいと思います。


A さて、ヨハネ福音書と他の福音書との違いは、イエス様が、神の子としての立場を明確にして

語っておられることです。ですから、「エッ、どうして?」と思ってしまうような言葉もたくさん出て

きます。ましてやユダヤ人にとっては、人の形を取ったイエス様を、神と認めることは難しいこと

でした。だから、イエス様とユダヤ人の会話は、全くかみ合いませんでした。しかし救い主イエス

様は、人間の肉の罪を贖うために、あえて人間の形を取って来られ、ヨセフの子として、私たちと

同じ肉の生活をされたのです。ですから、ユダヤ人とかみ合わないものがありました。同じような

不理解が、ラザロの死と復活の出来事にも如実に現れています。即ち、次元を超えた信仰の理解を

持てなかったマリヤたちの不信仰です。

B では、ラザロの死をとうして、マルタとマリヤがイエス様に対して、どのような反応を示した

のかを、みて見ましょう。姉妹たちは兄弟ラザロが病んだ時、直ぐにイエス様に使いを送って

「主よ。あなたが愛しておられる者が病気です。」と助けを求めました。この「あなたが愛しておら

れる者」という言葉に、マリヤたちがイエス様に対する特別の信頼と、親しい関係にあったことを

察することが出来ます。ところがイエス様は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の

栄光のためのものです。」と言われ、すぐには助けに行かれませんでした。そしてあえて2日遅ら

せたのです。このことは、「エッ、どうして?」と疑問に思うところです。また姉妹たちも、

「イエス様ならきっと来てくださるに違いない・・・」と期待していたことでしょう。ところが、

イエス様の行動は、マリヤたちに理解できないものでした。しかしイエス様の心は、彼女たちの

考えに反して、想像もつかないことをやろうとしておられたのです。
そのために彼が死ぬのを待って

出かけられました。ところが来てみると、マルタもマリヤも、「主よ。もしここにいてくださった

なら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」と不満をもらします。また、そこにいたユダヤ人

たちも同じ心で文句を言いました。ですから、その雰囲気を感じたイエス様は、霊の憤りを覚えら

れたのです。彼女たちは、イエス様の心を汲み取ることが出来ませんでした。しかしながら、

このことは、人間の次元では、無理も無いことです。しかし、イエス様は、彼女たちの言葉に、

容赦なく怒りを表されました。そして、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、と

私は言ったではありませんか。」と言われ、その言葉によって、彼女たちはしぶしぶ石を取り除け

たのです。そして、彼女たちは驚くべき奇跡を体験しました。このように、彼女たちは、叱られて

初めてイエス様のみ心に立つことが出来たのです。

ですから、私たちの信仰の成長に必要なものは、“砕かれた悔いし心”をもって神の全能を信じる

ことです。マリヤたちは、そこまでの信仰を求められていたのです。

C 
もし私たちが、霊的に成長したいと願うなら、物事を人間的地上的に見ていくのではなく、

神様は、人間の心では想像も出来ないことを考えていらっしゃる方であることを察して、その

霊的感受性を養って行くことが大切です。そのためには、常に自分の我を砕いていく心が必要です。


私たちには、そこまでの信仰が求められているのです。ですから、初めから全能の神を信じる心が

必要なのです。その心を持っているとき、ラザロのように、この教会にも神様の全能の栄光が

現れてくるでしょう。

                                    



     
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