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2004年6月13日

          きれいごと                               
「奇麗事の世界」

へブル3章12〜19節


@ 今朝は、人間の考えや手段によらず、どこまでも神に信頼し、信仰を貫いていく真実な生き方に

ついて学びたいと思います。


                                                                                                                     きれい
A さて、一般的に、信仰を貫いていくという一途な生き方は、「理想的な奇麗事の世界であって、
                   
きれい
出来る訳がない」と考えます。ですから、「奇麗事ではやっていけないぞ」と、思われるような場面
 
そうぐう
に遭遇すると、戸惑い、ウソも方便と世の流れに従って、上手くやっていくしかないと妥協してし

まうのです。私たちは、クリスチャンとしてのこのようなジレンマを覚えながら歩んでいます。

しかし、そのような生き方は二心の生き方であって、 生ける神から離れる不信仰な生き方なので

す。それを例で言うなら、理想のフォームを追求しながら、イザ試合になると、目先の勝負にこだ

わって勝つことしか考えず、自己流のフォームで失敗することと同じです。私たちは、理想の信仰

のフォームを追求し始めたのですから、そのフォームで勝利するまで貫いてこそ、真実な生き方を

すべきではないでしょうか。神には、ごまかしは通用しません。
信仰は、奇麗事の世界なのです。


B では、純粋に神一筋に生きていくことについて考えてみましょう。私たちには、その時々の損を

しない生き方をしようと、世渡り上手な生き方が染み付いています。その方が人との確執もなく、

自分を守って生きていけるからです。確かに、この現実の世界にあって信仰を明らかにし、神一筋に

生きていこうとする時、強い風当たりがやってきます。この厳しい競争社会の現実の中で、「そんな

甘ちょろいこと言ってるな。」と非難されるでしょう。また奇麗事では、他の人以上に労力を使い、

損もするでしょう。しかし神は、嘘偽りのない真実な心を受け入れてくださるのです。 その真実な

心とは、過ちを犯さないということではありません。たとえ過ちを犯したとしても、その失敗と

過ちを自分の責任として認め、告白していくことです。そのウソ偽りのない心で神を信頼し、忍耐

していく時、神は助けてくださるのです。
神はこのことを味わわせるために、イスラエルの民をわざ

わざ荒野に導かれました。そこは、飲むにも食べるにも困る環境の中にありました。信仰だけでは

通用しないと思われる所です。しかし神は、そのような中にあっても、最後まで信じ続けるかどうか

を見ておられたのです。そして、神に信頼し続けることを貫いていくなら、それが通用することを

神は明らかにしておられるのです。



C 私たちも荒野に入れられました。しかし、人間的な駆け引きは必要なく、ただ神に信頼していく

一途な心でいけばいいのです。
もし、信仰という奇麗事が通用しないのなら、私たちは、教会を解散

していくしかありません。だから、あらゆる場面において神に信頼するという奇麗事の生き方をし

ていくのです。今、困難と苦しみがあります。しかし神は、この苦しみの中から、奇麗事が通用するこ

とを味わわせてくださるのです。この信仰を貫いていきましょう。−「あなたがたの確信を投げ捨て

てはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」


                      

                               

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