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2004年5月2日

                      
「肉に逆らい主の御心に従う

マルコ14章26〜31節



@ 今朝は、私たちが自分の肉の性質に逆らい、主の御心に従って生きることが、私たち自身の豊か

な幸いであることを学びたい
と思います。


A さて、イエス様は捕らえられる前に弟子たちに言われました。「あなたがたはみな、今夜つまずき

ます・・・」と。するとペテロが言いました。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきませ

ん。」それに対してイエス様は言われたのです。「あなたは、今夜、わたしを知らないと三度言いま

す。」と。ペテロは、「そのようなことは決してしない。」と、力を込めて言い張りました。

確かにその熱意は、イエス様を守ろうと剣を抜いて応戦したところに現われています。

しかし、実際はイエス様が裁判にかけられた時、「知らない。」と三度言ってしまったのです。

彼は、鶏の鳴き声を聞いてイエス様のことばを思い出し、「なんてことをしたんだ」と自分の肉の

弱さ、意志の弱さに泣きました。確かに私たち人間には正義感があります。しかし反面、常に自分を
      
ひきょう
守ろうとする卑怯な弱さをかかえています。ですから、もし私たちが、自分の肉の性質に従って行動

するなら、自分の意志に反した、苦々しい結末を味わうことになります。ということは、私たちの

肉の性質は私たちの敵だという事です。


B では、生まれながらの肉の性質という敵を持っている私たちは、どのようにして歩んで行ったら

良いのでしょうか。パウロは言います。「むなしい心で歩むな。心の霊において新しくされ、真理に

基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきです。」と。


この「むなしい心で歩む」とは、肉の性質のおもむくままに生きていくな、という事です。私たち

は、自分の肉の性質こそ自分そのものであり、自分を守ってくれるものだと考えていました。

しかし、肉の性質の流れに従って生きるなら、一時は自分を守れ、それしかないと思っても、その

流れは、破滅という滝つぼに向かわせる結果になるのです。もしその流れに従って行くなら、神の

御心の中に生きて行きたいと願う、私たちの意志に反した方向に行ってしまうのです。ですから、

その流れに逆らわねばなりません。そこには、長年染み付いた習慣的な性質もあるでしょう。

しかし、だからといってその習慣をそのままにし、今までのやり方を継続していってはダメなので

す。破滅してしまうからです。私たちクリスチャンは、イエス・キリストを信じた時、十字架の贖いの

故に全ての罪を赦され、新しくされました。ですから、新しい人を着るべきなのです。

そのためには、今までのやり方、考え方、楽な生き方では神に通用しないのです。

私たちは肉の心を切り替え、イエス様に目を向け、肉に逆らって生きていくのです。
          がんこ
C 私たちは、頑固で生まれながらの肉の性質を持っています。しかし、そのままでは神に従って

行く事は出来ません。イエス様は、ペテロにそのことを教えられたのです。彼は、罪の贖いをうけて

からガラッと変わりました。私たちも同じく新しくされた者です。ですから、私たちの敵である肉に

逆らい、神の御心に従って生きる意志を表していきましょう。




                               

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