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2003年4月13日

「実を結ぶ信仰の心」
マルコ 4章10〜41節



                                      たと

@ 今朝は、種蒔きの譬えが弟子に(私たちに)語られていることを覚え、そこに語られている真理

について学びたいと思います。

A さて、イエス様は、おびただしい数の群衆に対して、たとえで多くのことを教えられました。

しかし、弟子たちにはたとえではなく、奥義を解き明かされました。それは、群衆はただ聞くだけで、

悟ろうとしなかったからです。

主は、「あなたがたには、神の国の奥義が知らされるが、他の人には、例えでしか知らされない。

彼らは聞くには聞くが、悟らないからだ。」と。 この両者の違いはどこにあったのでしょうか。

それは、聞く心にありました。群衆は、主のことばを聞いても、自分の事として考えず、悟ることも、

悔い改めることもせず、聞くだけで終わってしまったからです。ですから、それらの人々は、三年後

には、イエス様を「十字架に付けろ。」と叫ぶ人となってしまったのです。

同じように、私たちも今、この救い主を信じ味わい始めた者です。しかし、私たちは今日、本気で

このキリストを生きている神と認めた生き方をしているでしょうか。


B では、イエス様が私たちに悟るように願っておられる奥義とは何なのでしょうか。 

種蒔きのたとえから見てみましょう。まず種とは、「神のみことば」のことです。道端に落ちた種は、

すぐに鳥が来て食べてしまいました。そういう人はみことばを聞きながら、「頭だけで聞いているクリ

スチャンの事です。」彼らは、みことばを聞いても、サタンがみことばを持ち去ってしまうので、実を

実らせることがありません。彼らにとって、「聖書は聖書、自分は自分。」と、みことばが生きて働かな

いのです。次に、岩地に落ちた種とは、根を張らないため、みことばが信仰によって心に結び付けら

れていない人の事です。彼らは、困難や迫害が起こると、みことばに従わず、未信者と同じように

肉で判断し行動してしまうのです。「彼らは、みことばに素直に従おうとしない、我の強いクリスチャ

ンの事です。」さらに、いばらの中に落ちた種とは、自分を守ろうとする心が強いために、世や人の

気遣いばかりに心を配り、みことばをあとまわしにして、神の御心に従がおうとしないクリスチャン

です。「彼らは信仰で生きていくことに臆病なのです。」もし、みことばが信仰によって心に結び付け

られているなら、神を第一とした信仰的な判断をするはずです。しかし、心に結び付けようとしないな

ら、世を第一としてしまうのです。最後に、良い地に落ちた種とは、みことばを『ハイ』と信じ、素直に

聞いてその通りやって行く人の事です。その人は、30倍、60倍、百倍の実を結ぶのです。

イエス様は、私たちがこのような実を結ぶクリスチャンになることを願っておられるのです。


C 私たちの信仰は、実を結ぶためにあるのです。ですから、みことばを聞いたら、頭に留めるので

はなく、実を結ぶために心を使っていくべきです。聞くだけの者であってはいけません。いつも心を

開いてみことばを聞き、聞いたみことばを心に結びつけていくことです。
それを妨げているのは、

自分勝手な自我です。 その自我を砕いて、神様の考え方に心を変えていきましょう。そして、みこと

ばを聞いたなら素直に同意し、その通り始めましょう。そうすれば、知らないうちに成長し、大きな木

となって枝を張り、その陰に空の鳥が巣を宿すほどに、人々が頼ってくる幸いな人になるので

しょう。  


                               


 
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