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2003年11月9日


砕かれた心で従う

使徒10章1〜16節


@ 今朝は、私たちが神様に用いられていくために必要なものは、自分の考えやこだわりを捨てて、

「砕かれた心で従って行くこと」
を学んでいきたいと思います。


A さて、使徒ペテロは9章で、病気で死んだタビタに向かって、「タビタ。起きなさい。」と言って、

生き返らせました。 この記事を読んで私たちは、 「凄いな。自分もこのような働きに用いられたい

な。」と思います。しかし、もし、死んでいる人を目の前にして、果たしてペテロのように言えるでしょ

うか。あるいは、癒しを必要としている人に向かって、「癒されなさい。」と言える勇気があるでしょ

うか。「私のような者が言っても・・・」とビビリ、「もし癒されなかったら・・・」と恐れて、何もでき

なくなってしまうのではないでしょうか。ですから、こんな私たちが、聖霊様の働きに用いられて

いくためには、まず私たちの心が、自分のこだわりから開放されていなければなりません。



B では、ペテロの体験からその心を学んで見ましょう。彼がヨッパに居る時のことです。昼の十二

時頃に、祈りのために屋上に上りました。 彼は、うっとりと夢心地になりました。その時、天が開け

て、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来たのです。その中には、地上の

あらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいました。すると、「ペテロ。さあ、ほ

ふって食べなさい。」という声が聞こえたのです。ペテロは答えました。「主よ。それはできません。

私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」と。すると、再び声がありま

した。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」と。このことが三回あって後、彼は夢か

ら覚め、これは何事だろうかと思い巡らしました。彼は、この出来事の中で、「きよくない物や汚

れた物を食べることは出来ません」と言ったのは、ユダヤ人として当然のことでした。それは、律法
                       ちゅうちょ
に反することが言われているのですから、彼は混乱し、躊躇し、出来ないと思ったことでしょう。ある

いは、自分を陥れようとする悪魔の策略かと考えたかもしれません。しかし彼は、「そんなことは出来

ない。」 とこだわり続けることはしませんでした。
自分の考えやこれまでの習慣にとらわれず、「今

見た幻はいったいどういうことだろう。」と心を開いて慎重に考えたのです。ですから、御霊に「ため

らわずに行きなさい。」と言われた時、異邦人であるコルネリオの使いと共に、出かけて行ったの

です。ここから異邦人への伝道の門が開かれていきました。そして、全世界に福音を宣べ伝えようと

する神の御心が成就していったのです。



C さて、このようにペテロが、律法に反した考えを変える、ということは難しいことだったと思

います。しかし、彼が砕かれた心を持っていたので、自分の考えに留まりませんでした。
神は、

全能の御力を私たちに現そうとするとき、私たちの考えの及ばないことをされます。そのために

は、出来るできないという自分の考えに立つのではなく、心を開いて慎重に対応していく心が必要

です。
この開かれた心こそ、私たちが今、主に用いられるために無くてはならない備えです。 神様

は、これから、新しいことをされていかれます。その手始めに、未信者の方の病をも一瞬に癒され

たのですから。

                               

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