2022年4月24日
『人間的な考えではなく、全能主に心を向けていく』
マルコの福音書8:31~38
(起) マルコ8章33節から「あなたは全能主の方に心を向けないで、人の方に心を向けている」
という、イエス様の言葉から、人間的な考えに心を向けるのではなく、全能主に心を向けて、「絶対
主に信頼し、全能主が成し遂げて下さる幸いを味わって行くこと」を学んで行きたいと思います。
(承)さて、ペテロが「あなたこそキリストです」(8:29)と、はっきりと告白すると、イエス
様はご自身の受難を告知されました。すると、ペテロはイエス様を自分の脇に引き寄せて諫め
始めたのです。そこでイエス様は、ペテロに対して「サタンよ。引き下がれ」と強い口調で叱られ、
「あなたは全能主の方に心を向けないで、人の方に心を向けている」と言われたのです。要するに
主は、「あなたは人間的な物の見方で、わたしに進言している」と、ペテロを叱られたのです。
これは、どういうことかと申しますと、当時のイスラエル人は、異邦人であるヘロデ王によって
治められていましたので、ユダヤ人たちは皆、新たなイスラエルの王が来ることを願って、メシアを
待ち望んでいました。それは、ローマの圧政から解放され、自分たちの国を再興してくれる、モーセの
ような救世主が出現することを期待していたからです。その気持ちは、ペテロも同じでした。
ですから、彼の理解も地上的なメシアとしての先入観を持っていましたので、イエス様を単なる
地上的な王としての救世主(メシア・キリスト)と思っていたのです。このように、ペテロは霊的な
救い主としてのメシヤ像を持っていなかった為、イエス様が十字架に掛けられる意味も分からなかった
のです。そのために、イエス様が殺されるという言葉に、過剰反応をして、イエス様を諫め
ました。ところが、もしペテロが、これまで語られていたイエス様の話を聞いて、「天から来られた
メシアだ」と悟っていたら、「あなたこそキリストです」と告白したその言葉は、彼の信仰に強い
確信をもたらしていたことでしょう。また、主の受難を聞いても、傲慢な諫め方はしなかった筈
です。なぜなら、「旧約聖書のイザヤ書には、メシアの受難が記されていた」と、思い出すから
です。すると、イエス様は「ペテロよ。あなたは全能主の方に心を向け、人に心を向けなかった」
と、喜ばれたことでしょう。また、ペテロのその信仰は、後にイエス様が十字架にかけられて三日目
に甦られたことを知った時も、当に「あの時、イエス様が言われていたのは、このことだった
のか」と分かって、彼の喜びも増大していたに違いありません。
(転)では、私たちはどうでしょうか。実は、私たちもペテロと同じように、物事をすべて地上的な
見方で理解しようとしている部分があるのです。それは、はっきり言って、アダムとエバから受け
継いだ魔物の心です。どういうことかと申しますと、アダムとエバは、罪を犯した後、全能主から
離れて自立したことによって、自分たちの努力で、働いて生きて行かなければならなくなりました。
その中で、常に自分にとっての損得を考え、自分勝手な物の見方をすることが当たり前になって
行ったのです。そのような子孫としての私たちは、アダムとエバの罪の性質を受け継いでいます
ので、「自分の思い通りしたい」という感覚が、赤ちゃんの時からあるのです。だから、常に自分が
正しいと思う中で物事を判断しており、人の話を聞く時も、「相手の考えに自分が同意するか、
否定するかは、自分が決める」という聞き方をしているのです。しかし、それは間違っています。
先程も申し上げたように、私たちの側の考えというのは、アダムとエバの罪の結果として受け継いで
しまった、魔物の見方です。ですから、そんな罪人の自分は、全能主の前にお手上げして見切って
しまうべきなのです。そして、その後は、イエス様が言われたように、全能主の方に心を向けること
です。即ち、全能主の言葉に耳を傾け、全能主の側から考えるのです。すると、「全能主の言われる
ことはその通りだ」という理解が心に入ってきます。そして、全能主の側から考える意識を日常から
身につけて行くと、「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を徹底的に否定して、自分の
十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われたイエス様の言葉が理解でき、「この命は自分
のものではなく、新しく命を下さった全能主のものだ。だから、この命は全能主にお任せして行けば
いい」という見方が、心に入ってきます。ちょっと見方を変えて、全能主の側に立って考え、「その
方が正しい」ということが分かってくると、私たちはその考えに心を寄せて、同意することが出来
ます。これが、本当の意味で「全能主を信じる」ということです。その信じる心が、どんなことでも
「全能主に信頼して任せて行けば、必ず全能主が成し遂げて下さる」という、本物の信仰へと成長
して行くのです。
(結)先程申し上げたように、私たちの側の考えは、アダムとエバから受け継いだ、自分中心な
魔物の考えでしかありません。だから、そんな自分は見切って、いつも全能主の側に立って物事を見て
行きましょう。そこで、「その通りだ」ということが分かれば、そこが私たちの生きる世界だと、
はっきり見えてきます。即ち、全能主に完全に依存し、頼って行く世界です。そして、全能主が
「わたしが成し遂げる」と言って下さるのですから、そんな有り難い話はありません。時には、
その結果が辛い結果の場合もあるかもしれませんが、全能主は辛い中でも最善をして下さいます。
その恵みを味わって行けば、私たちはますます全能主を信頼する方向に向かって行くことでしょう。
ですから、まずは話の聞き方、物事の見方を変えて、全能主の考えに自分自身の心を向け、アダムと
エバから受け継いだ魔物の心から離れて、全能主に信頼し、全能主が成し遂げて下さる幸いを
味わって行こうではありませんか。
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