人はどんなに小さな達成感でも、それを味わうことによって、満足感を味わい、喜びと
自信に繋がって行きます。それが、たとえ僅かな成功であっても次に繋がるエネルギーと
なって自信が湧いて来るものです。本来、人は自信に満ちあふれて生きていきたいと
いう願望があります。だから、自分の夢の世界を追い求めて行くのです。
ところが、いつも自分の思うように成功し自信を持ち続けることは出来ません。多くの
場合、挫折感に打ちのめされてしまう人の方が多いのです。そして、もし大きな挫折を
経験すると失望感の虜になって生き甲斐を失い、生きて行く力が失われて行きます。
そして、空気の中を漂う幽霊のような存在になってしまいます。これでは、生きて行く
張りがありません。即ち、一旦挫折感の虜になると、なかなかそこから抜け出せません。
このように達成感の無い生き方は、存在感のない無味乾燥な生き方になってしまうの
です。ですから、人はどんなに小さな達成感でも、味わっていく必要があります。
その達成感を味わうためには、努力が必要です。この努力を惜しむ中からは、決して
達成感は出て来ません。努力を嫌う人は、張りのない敗北感の漂う人生を送ることになり
ます。ですから、達成感を味わう為には、「どんなことでも、取り組みます」という
前向きな心が必要なのです。この心を与えて下さるのが「イエス様」です。イエス様は
自信喪失していた私たちを救って下さいました。主は、「私たちを責め立てている債務
証書を無効にされ、これを破棄し、十字架に釘付けにされました」(コロサイ2:14)。
ですから、キリストの救いに預かった人は敗北を望まず「全能主の力によって、強くされ
続けなさい。」(エペソ6:10)とあるのです。即ち、悲惨な結果ばかり考えるのでは
無く、絶対主のために「なんでも、やります。」と前向きに努力していく事です。
それは、私たちの日常的な苦手な事柄(料理、整理整頓等)にも、一生懸命心を向けて
前向きに結果を出すように努力していく事です。そして、今まで出来なかった小さな
事柄も、諦めずに努力し続けて行くなら、「出来たという達成感」を味わう事が出来る
のです。そして、この小さな達成感の積み重ねが喜びとなり、「主に信頼して行けばい
い」という自信に繋がって行くのです。これが「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」
という信仰の真理です。どうか、諦めないで信仰による努力を続けて達成感を味わい、
「自分にも出来る」という、主にある自信を持たせて貰いましょう。
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