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2018年 NO.624


イエス様によって与えられた等しいミナ(能力)について


   人は、「怒られることや、否定されること」を極度に嫌がる性質を持っています。

なぜなら、この世は、競争社会ですから、負ければ失望しかないからです。負ければ否定

されて、バカにされます。バカにされて行けば、生きて行く気概も失って行きます。

だから、「負けること、失敗すること、怒られること」に極度のアレルギーがあるのです。

それは、人間としての存在していることさえ自信を失い、脅えが出てくるからです。

ですから、大人になってからも、「怒られることや、否定されること」は、自分の存在が

否定されることと同じで、無意識に拒絶し、嫌うのです。ところが、競争社会の中で、

勝てる人は何人いるのでしょうか?最終的には一人です。後の99999%は、みな敗北者

です。
では、この世の勝者は、絶対主の前でも勝者と言えるのでしょうか?

 断じてそうではありません。聖書には、パリサイ人と取税人の祈りがあります。

パリサイ人は「この取税人のような罪人でないことを感謝します」と言い、取税人は

「罪人の私を憐れんで下さい」と祈りました。この二人の内、絶対主に受け入れられた

のは取税人でした。なぜなら、生まれながらに、人間は罪人だからです。人の能力は、

全て絶対主からの借り物です。だから、それで勝者とは言えません。聖書に、「自分を

高くする者は、低くされ、自分を低くする者は、高くされます」(ルカ1814)とあり

ます。すると、この世で勝者となっても、絶対主に誉められるわけではありません。


すると、クリスチャンの場合はどう考えて行けばいいのでしょうか?

 クリスチャンは、「生まれながらに100%罪人である」ことが分かりました。それ

なら、絶対主の前に初めから誉められる人は一人もいないという事です。そこで、絶対主

はイエス・キリストによって「新しく生まれ変わりなさい」(ヨハネ33)と言われ、

新しく生まれた者には、新たに一人一ミナの能力を全員に与えると言われました。そこで、

私たちは信仰によって、全く新しいスタートラインに立たされ、朽ちない冠を得るために、

絶対主の集大成の働きに参加する者とされるのです。だからクリスチャンは皆、「上に

召して下さる絶対主の栄冠を得るために、ひたすら目標を目指して走るのです」


(ピリピ314)。この働きには、もう能力の差によって怒られたり、否定されることは

ありません。同じ信仰を全員が頂いているのですから、その信仰を精一杯用いて行けば

良いのです。ただし、用いる者と用いない者では、天での報いの差はあります。その報い

の差は何でしょうか?それは、決して与えられたミナの差ではありません。その差は、

与えられたミナを喜んで使うかどうかです。使い方が分からなければ、絶対主に聞き、

絶対主に助けてもらえばいいのです。エネルギーは、天に召されたことの喜びです。

ですから、私たちの古い命に関しては、怒られることがあったとしても、それに失望する

ことはありません。古い命を根拠にしてクリスチャンは戦うのではないからです。

だから、古い肉が怒られようが、否定されようが、それは受け止めて下さい。

私たちは、新しいミナで生き始めたのですから。



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