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2017年 NO.592 |
絶対主に本気で懸けて行く人生を歩んだ者を、絶対主は放って置かれるはずがありません。 しかし、絶対主に懸ける人生とは、自分のことよりも絶対主のことを優先し、絶対主を第一 にすることですから、生まれながらの人間の肉は、それを極度に嫌います。なぜなら、生まれ ながらの人間の肉は、「自分の思い通りにしたい」、「自分が損することはしたくない」と、 無意識に反応し、自分を第一に考えるようにするからです。しかし、自分の考えに頼り、 自分の思い通りに歩んで行った結果が、どうであったのか?そのことは充分味わっています。 なのに、なかなか肉から離れることが出来ずにいるのは何故でしょう。霊の本心は、「主に 素直に従って行きたい」と、心の底では叫んでいるはずです。なのに、いったい何が私たち の心を縛っているのでしょうか?この心の葛藤、心の争いは何なのでしょうか?この矛盾を 自分の知性で考えて解決できるのでしょうか? 本当に私たちの心は、どこまでも自分本位に 考え、自分中心になっています。しかし、人間はどこまで行っても被造物なのですから、 創って下さった創造主の路線の上で歩んで行くのが一番良いことです。なのに、被造物が どうしてこれまで、自分の思い通り生きようとするのでしょうか?もし、私たちが自分の 知性を働かせて、自分の命の出所がどこにあるのか考えれば、命は絶対主から出ている ことは、すぐに分かります。この当然の理屈が分かるのに、その理屈を無視して考えよう とするのは、考えようとする知性そのものが壊れているのです。それなら、壊れている知性 に幾ら頼っても無意味です。ということは、この矛盾に満ちた考えを引き起こしている 原因が自分の壊れた知性なら、この当てにならない腐った知性から離れて、考え方を 180度変えたらどうでしょう。即ち、自分本位の考えは自分を欺くだけですから、自分から 絶対主中心の考えに変え、大胆に考えを変えるのです。すなわち、自分の主権を明け渡して、 絶対主の主権に従って行くのです。この単純な判断は、誰でも出来ます。その理屈を認めるか どうかに掛かっているだけです。どうか、この矛盾を大胆に改めて、絶対主に大胆に近づいて 行こうではありませんか。 |
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