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2017年 NO.576


『あきらめない心』



「キリストがすべての人に代って死んだのは、生きている人々が、二度と自分たち自身のために

生きるのではなく、彼らのために死んで甦らされたお方のために、生きて行くためです」

(第Uコリント5:15)とあります。すなわち、キリストと出会ったクリスチャンは、

もう二度と自分のために生きて行くのではないということです。なぜなら、罪人であることが

分り、自分の力では生きていけないことを思い知らされた時、そこにイエス・キリストが

おられ、キリストを拠り所として生きて行けばよいからです。私たちは、キリストを信じる

以前に、罪人である自分を知っても、自分の力で這い上がって行かなければならないと思って

いました。
しかし、「キリストは人の命を滅ぼすために来たのではなく、かえって救うために

来られた」(ルカ9:56)ということが分ったとき、救い主を拠り所として這い上がって

行けばよいのだと知ったのです。それなら、自分の考えや、自分の力に拠り頼む必要は

ありません。もはや罪深い自分の力に頼って生きて行くのではなく、絶対的なお方である

キリストに頼って生きて行く道が開かれたのです。ならば、私たちがどんなに挫折しようが

落ち込もうが、惨めな経験を味わおうが、もともと罪人であったのですから、罪人が挫折して

絶望してもいいのです。なぜなら、自分の力に頼って這い上がらなくても、救い主に頼って

這い上がって行けば良いからです。すなわち、「主に信頼せよ、主が成し遂げて下さる」

(詩37:5)という御言によって生きて行けるのです。これが、私たちクリスチャンの救い

です。しかし、なんと多くのクリスチャンが、救い主と出会った後でも、自分の力で

這い上がろうとしていることでしょうか
いや、逆に救われたのですから、自分の力で

這い上がって行かなければならないと、自分を責めまくっているのです。これは、不可能です。

いや不必要です。罪人にはその力はありません。むしろ、クリスチャンは自分の無力さを

認めて、失敗、落胆する現実を認めて行くべきです。それは、生まれながらに罪の世界に

いるのですから。しかし、それでも「あきらめません。」何年かかっても、キリストに頼り、

キリストによって這い上って行く精神は正しいのです。なぜなら、クリスチャンはどこまでも

「前のものに向って懸命に努力し、・・・ひたすら目標を目指して走っていくのです」

(ピリピ3:13〜14)。ただし、どこまでも、Never give up in Christ、また

Never give up for Christです。




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