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2017年 NO.578 |
の義」を求めて行くことです。求めて行くその方法は、絶対主の考えや絶対主の言わんとする 趣旨を自分の思いを引いて横に置き、「あっそうか」と受け入れて行くことです。 これは、自分が失敗し、怒られた時も、同じことをして受け入れて行くことです。私たちは 罪人である自分が救われたのですから、自分の面子の為に生きて行く必要はありません。 ですから、自分の言い分や言い訳が頭に浮かんだら、それを横に置き、叱ってくれている人の 側に立って聞くのです。すると、何故怒られているのかという趣旨が分り、相手がどうして 怒るのかが見えて来ます。すると「あっそうか!それなら自分の方が悪い」と素直な気持ち で過ちを認めることが出来、そして謝ることが出来ます。すると、自分の心の問題点が分り、 絶対主を第一とする方法が見えて来ます。それが理解できた時、自分から積極的に改めて 行こうとする思いになります。すると、信仰は前向きになり、主を信頼して行う心が生れ、 信仰が増して行くのが分って来ます。ところが、もし自分の心の思いに囚われ、頭の中が 「じゃどうすればいいのか」と、開き直る思いで一杯になったなら、相手の言葉が心に入って 来なくなります。すると、表面だけで謝ることになり、心に平安は与えられず、悶々とした 世界に入って行くのです。そして、自分の力でもがき、這い上ろうとしますが、そこには1つ も結果は生まれて来ません。これは、罪が指摘され、怒られた瞬間にバリアを張り、相手から の叱責の言葉を聞こうとしない「我」が働くからです。それは、自分の欠点や弱点を指摘 されると、落ち込むトラウマが心の中の壁となって立ちはだかっているからです。しかし、 罪人が救われたのですから、未信者のように劣等感の中に陥る必要はありません。むしろ、 罪人が罪を指摘されるのは当然の事ですから、それを嫌わず、かえって心を開いて、 「相手がなぜ怒るのか」という、その理由を相手の側に立って考えるのです。これを実際の 生活の中で、1つ二つ実践し始めることです。家庭の中で、学校の中で、職場の中で、相手 の言葉に開き直ってバリアを築くのではなく、「あえて、相手の言わんとすることを聞く」 のです。これが信仰を増して行く秘訣です。なぜなら、その開かれた心があってこそ、 救い主の言葉に心を開くことが出来るようになるからです。これが当り前の習慣となって 行くように、始め出しましょう。この心が絶対主と繋がる秘訣です。 |
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