(起)「私たちは、100%罪人である」ということについて、再び学んでいきたいと思い
ます。
(承) さて、19節に「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」
とありますが、私たちの教会は、これから、そのことをどんどん学んでいくようになると
思います。しかし、それを学んでいくために、まず知るべきことがあります。
それは、「私たちが100%罪人だ」ということを、頭でなく心から知ることです。
ところが、多くのクリスチャンは、罪人であることを理解してイエスキリストを信じたにも
関わらず、自分の心の中にある、わずかばかりの義の中に留まっています。
いや、むしろ、クリスチャンになったのだから、自分は、正しくあらねばならないと思い、
「自分は悪くない」と言い切ってしまう心を持っています。また、その義を持っていないと、
絶対主の前に生きていけないと思っています。それは大間違いであり、騙しです。私たちは、
「正しくありたいと思っているから、正しい」というのではありません。私たちにとって、
悪霊の働きが現実に自分の内にある事を認める事ほど、「嫌」なことはありません。
しかし、私たちは好むと好まざるとに関わらず、実際に悪霊の支配の中にあります。(エペソ6章)
その証拠に、どれだけ、多くのクリスチャンが信仰から離れていったことでしょう。
彼らは、もはや悪霊の虜となって、永遠の暗闇の中にいるのです。ですから、絶対主は
「私たちは、一つも自分の義を表すことはできない罪人その者である」ことを私たちに学ばせ、
へりくだることを願っておられるのです。
(転) では、なぜ絶対主はそうまでして、「100%罪人である」ことを私たちに教えようと
されているのでしょうか。それは、私たちの教会が、これから全てのクリスチャンが艱難時代に
入る事を、御言葉から語っていかなければならないからです。また、その中に入ったとき、
へりくだりの心がないと、皆背教してしまうことを伝えていかなければ成らないからです。
ですから、艱難の前に、そのことを人々に伝えていく必要があります。多くの脳天気な
クリスチャンは、御言葉に何の根拠もないのに、艱難の前に天に引き上げられると勝手に
思わされています。しかし、福音書も、パウロの手紙も全て、主の日に起る空中再臨の携挙は、
荒らす憎むべき者666の出現の後であり、大艱難の途中に起る出来事だと書かれています。
ですから、ほんのわずかでも、「自分は悪くない」という気持ちを、心の片隅に持ったまま
クリスチャンが666の前に出たらどうなるでしょうか。「自分は悪くない」と思うことは、
自分を守るということですから、その心があれば簡単に666に従ってしまいます。
ですから、そうならないために、その「自分は悪くない」という思いを全部砕く必要が
あるのです。これから、私たちはバチカン、イスラエル、そしてローマのコロシアムに行きます。
なぜなら、そこで、多くのクリスチャンたちが、666の前に立たされ殉教の血を流して行く
からです。少なくとも私たちの教会が、最後の最後まで、死に至るまで、イエスキリストに忠義
を尽くしていけるように。信仰を失うようなことにならないように、祈っていかなければ成り
ません。そこでは、終わりの時代にたくさんの血が流されていく場所になるからです。
これで、私たちの教会がどんなに大きな働きをしていかなければならないか分かったと思います。
こんな小さな教会でも、絶対主の特別な働きをさせていただくのです。
それは、「悔いし砕かれた心」だけが絶対主の前に通用することを教えられたからです。
どれだけイエス様から愛されている教会でしょうか。これから、そのイエス様の愛を、涙をもって
一つ一つ味わうようになっていくでしょう。
(結) ですから、まずは私たち自身が、「我を砕いていく世界」に入っていくことです。
自分の義を立て、自分を守ろうとする気持ちがあったら、私たちはこの働きに用いていただく
ことはできません。イエス様の前に、「私は罪人です」と言いながらも、自分の義を表そうと
する心を自分の中に抱え込んでいてはいけません。私たちは、それと決別しなければならない
のです。私たちは何故、なかなか、砕かれた世界に入ることが出来なかったのでしょうか。
それは、自分の心の片隅に、裏側の自分(ブラックな部分)があったからです。
それこそが、罪そのものであり、そこに悪魔がしがみついていたからです。
私たちはもう、その悪魔との縁を切り、100%罪人であることを認めて、主に従っていくべき
です。そして今、皆そろって御霊の一致を持って心を一つにしていくべきです。
ずっと守り続けてきた、ブラックな部分を全部立ち切り、本当の意味で空っぽになって、
「私はイエス様の所に飛び込みます。砕く世界に飛び込んで行きます」という心を現して
いきましょう。その時、初めてイエス様にとって使い易い器となり、そのことを願って自ら
同意した者を、イエス様は、用いてくださいます。その世界に入っていきましょう。
イエス様は、その心を持つ者を蔑まないと言って下さるのですから。 |