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2012年 NO.434 |
『イエスは、気絶しただけで、死んでいなかった』
キリストの復活を否定する批評家たちは、「イエスが十字架刑の後に、もう一度姿を 現わしたというのは、奇蹟的な復活ではなく、十字架上で気絶し、死んだように見せかけて いた」と主張します。イエスが死ななかったという考えは、7世紀に書かれたコーランの中 にも見ることができます。イスラム教では、イエスはインドに逃れ、その墓がカシミール地方 のスリナガルにあると主張しています。 では、イエスが十字架上で死んだとされるのは、ウソであったのでしょうか。 イエスの復活はウソで、単なる蘇生であったのでしょうか? 聖書には、十字架の前にイエスは血の汗をかいて祈られたとあります。これは、医学的に、 血汗症の症状には、極度の精神的ストレスが起こると汗腺にある毛細血管が、化学物質に よって壊され、汗腺に微量の血液が混じって、血の汗をかくようになります。 又、イエスのムチ打ちには、鉄玉の入った革のムチと、とがった骨も一緒につけられて、 打撲と深刻な裂傷を引き起こさせます。すると、血液量減少性ショックが起こり、のどの 渇きと、血圧低下の重体に陥ります。そして、心臓は機能不全を起こし、心外膜液という 液体が心臓の周りに集まり、肺には胸水がたまります。そこで、十字架上のイエスを ローマ兵が槍で肋骨の間を突いて、槍を引き抜くとき、水のように見える心外膜液と胸水 が排出され、又、心臓の大量の血が体外に排出されます。 これが、医学的にヨハネが見た十字架上の姿です。このような処刑がされた人間が、蘇生 することはあり得ません。仮に、重体に陥ったイエスが、巻かれた布を取り払い、巨大な 石(2トン以上)を動かし、ローマ兵の目をあざむいて出て来ることは、全く不可能です。 しかも十字架刑によって腕が伸び、肩の脱臼を起こしていて、数時間後に、エマオの弟子に 現われることは不可能です。ですから、「イエスが十字架で死んだように見せかけていた」 という批評家の主張は、現代の医学知識とは、全く合致しません。ローマの死刑執行において、 受刑者が死ななかった場合、執行者である兵士が処刑されます。ですから、死亡確認には、 念を入れます。兵士は殺人のプロなのです。 すなわち、このイエスの復活こそ、私たちも、瞬きする瞬間に、朽ちる体が栄光の体に 変えられる希望です。この日こそ、私たちのハッピーデーなのですから。 |
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